では、まずは紀元前からいきますよ。
紀元前7000ねんごろ、今のイスラエルのあたりはカナンという交通の要所の宿場でした。
それから5000年後にはエジプトの支配を受けます。
このときのエジプトは、ヘブライ人(ユダヤ人)を支配していたのですが、
その後旧約聖書のモーゼにより、エルサレムに集団移住が始まります。
元々、エルサレムは乾燥した農耕に適さない高原でした。そこに、ソロモン王、ダビデ王が都市を築き上げます。
こうして、今の城壁の一部が出来上がります。
その後500年、アッシリア帝国や、バビロニア帝国に攻め込まれては独立しをくりかえします。
しかし、紀元前538年から、安定したユダヤ人自治によるペルシアの統治が進みます。これが現嘆きの壁のできた頃です。
では、何故「嘆き」の壁か。それは紀元前後に、ローマ帝国に滅ぼされ、神殿が破壊されたからです。
この後、エルサレムはローマ人の統治になります。(ローマ人とは、エトルリア人やラテン系民族、カルタゴ人の総称なのでここ注意です!!)
また、このころイエスキリストが、エルサレムの南の町ベツレヘムで生まれました。
さて、このあと393年のローマ分裂によりビザンツ帝国が占領します。
ちなみにビザンツ帝国は自国のことをローマ帝国と言っていたらしいです
ラテン語だとSPQR senatusPopulusqureRomanus(直訳するとローマ人民元老院共和国)
ここは雑学なので忘れていいです。
で、7世紀からはイスラム帝国が力をつけます。ビザンツ帝国(ローマ帝国)は、おいやられ、エルサレムはイスラムの統治下になりました。
ちなみに、根本はこれがのちの十字軍、中東戦争の始まりです。
1000年ごろ、キリスト教の信者たちは恐れていました。
「あと30年もしないうちにイエス様が亡くなってから千年経つ。この世は終わりではないか?
イスラム教はそのはじまりではないか? 墓参りに行きたいがイスラム帝国に行きたくない......」と。
ちなみに、この時代、キリスト教徒がエルサレムに墓参りに行ってもいいです。イスラム教の教えでは、アラー(エホバや、ヤハウェなどともいい、世界の半数の人が信じる神様)の予言を聞いた1人なので、べつに尊敬されるべき人ですから...
勘違いが勘違いを呼び、ついに1080年(ん?亡くなってから1053ねんになったけど...?)十字軍が派遣されます。
エルサレム王国に統治され、キリスト教徒が増えました。
ちなみに、ユダヤ人はそっちのけです。嘆きの壁は見に行けません。
その後、サラディンによりエルサレムはイスラムの統治に戻ります。
この後急展開を迎えたのは1914年の第一次世界大戦です。
イギリスの三枚舌工作👅👅👅により、
👅ユダヤ人よ!お金を貸してくれればナショナルホームを作ってやる!もちろんイスラエルにな!
👅アラブ人よ!オスマンから独立したいだろ!全力で応援する!
👅くくく、フランス大統領、(ピコ大統領)オスマンの領土、どこをほしい?そうかそうか、ならレバノンとヨルダンをあげよう、代わりにエジプトとパレスチナは貰っていく!くくくくくくくくくくくくくくくくくくくく
かなり悪役に書きましたが、こういうことです。
こうして、フランス案を通して、そこにアラブ人とユダヤ人を対立混住させたのです。
こうして、安定した統治に......なりませんでした。
イギリス帝国は衰退が始まり、第二次世界大戦ですべてを使いきりました。
こうして、上の図に続くのです。
超長文失礼しました!!!!