✨ คำตอบที่ดีที่สุด ✨
長くなってしまいました((((;゚Д゚)))))))
もしも間違っていたらすみません。
私が教わったことを伝えます。
まず、時代背景として、
902年に延喜の荘園整理令・(結果として)班田収授がストップ→班田収授を基に徴収していた租庸調のシステムもストップ→国司が地方政治を100%任される=国司が徴税請負人的性格を持つ
また、そのへんでフラフラしてる農民も多くなってきました。
①国司はそのへんでフラフラしてる農民に「あそこの土地で農業してくれない?」とお願いします。お願いされた農民=田堵となります。また、お願いされて農業をすることを請作といいます。
国司は田堵に「ついでに税っぽいのも出して?」とお願いし、田堵も受け入れます。この税っぽいものが官物・臨時雑役です。
ここで調子に乗って隣の空き地も開墾してしまう田堵が出てきます。この田堵=開発領主です。出世したわけではありません。
②国司は開発領主(元田堵)達が余分に農業していることを発見します。そして「なんか田んぼ増えてるね?こんなにあるんならもうちょっと税っぽいの出してよ」と催促します。すると開発領主達は「そんなつもりじゃなかったのに!」と焦りだします。
そこで、開発領主達は、国司が「税出して〜」と催促をかけることが出来ない、国司より立場が上にある寺や貴族に土地をあげることにします。この土地をあげる行為が寄進です。
③上記のようにあげられた土地が寄進地系荘園と呼ばれます。
夜分に御丁寧な回答ありがとうございます!
本当にわかりやすくて涙ちょちょ切れました˚‧º·(˚ ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )‧º·˚
感謝です(ㅅ˘˘)♡*.+゜