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มัธยมปลาย
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墾田永年私財法の時の初期荘園で開墾に従事したのは誰ですか?税が重くて逃げた人とかですか

คำตอบ

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周辺にいた農民です。
郡司が農民を集めました。
https://nihonshiyougo.blog.fc2.com/blog-entry-1212.html?sp

さきち

ありがとうございます🙇🏻🙇🏻‍♂️🙇🏻‍♀️
質問ですが、自分の口分田もあるのに荘園を耕すこともできたんですか?

喜重郎

もしも山川出版社の教科書をお持ちなら47ページを見てください。「農民は、班給された口分田を耕作したほか、口分田以外の公の田や寺社・貴族の土地を原則として1年のあいだ借り、収穫の5分の1を地子として政府や寺社・貴族におさめた(賃租)」とあります。このように当時の人々は口分田だけでは足りずに、土地を借りて耕作したり、自ら開墾したりしていました。では開墾した土地は誰のものなのか?そのことが日本の律令には規定されていませんでした。そこで政府は、開墾地をどのように扱うのかをルールとして示します。それが、三世一身の法であり墾田永年私財法なのです。初期荘園を耕す労働力は、現地の有力者である郡司に頼って集めていました。そのため、初期荘園は律令制の支配機構に依存して営まれたとあるのです。

さきち

ありがとうございます!そうなのですね!すみません、もし宜しければ教えて頂きたいのですが、なぜ口分田でたりない人と税が重くて逃げる人がいたのですか

喜重郎

あまりはっきりと答えられませんが、当時の農業は気候に左右されたり、作物を育てたら地力は衰え、それを回復させるには田地を休ませなければいけませんでしたから、同じ面積の土地でも収穫量には差があったのではないでしょうか。昨日、猛暑を伝えるニュースを見ていたら、用水路から遠い水田は水が届かずに稲が枯れてしまっていることが報道されていました。同じ場所の水田でも、用水路からの距離の違いで枯れるものと生き残るものの差が、現代でもあるのだから、古代にも差があったと考えたらいいのではないかと思います。推測で話してしまいごめんなさい。

しちえ

税が重くて逃げる人というのは、
兵役や調庸が嫌で逃げていたそうです。(口分田の租というより)

また、喜重郎さんの言う通り、与えられた口分田よりも良い土地を求めて逃げた人もいました。

さきち

なるほど、しっくりきました!納得です!喜重郎さん、しちえさん、ありがとうございます🙇🏻🙇🏻‍♂️🙇🏻‍♀️

喜重郎

しちえさんありがとうございます。租は収穫の3%程度ですから、それが重いとは言えません。これはどちらかといえば災害に備えた備蓄の意味がありました。人々が負担をのがれるために偽籍も行われますが、それは戸籍に記載された男性が負担する調などの税からのがれるためでした。調は都まで運ぶ運脚もともない、大変な負担でした。

さきち

ありがとうございます。租が大変というより、男性に課せられた、それ以外のものですね。了解しました!

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