助動詞「ん」と「む」は基本的に文法的意味がおなじです。
文法的意味は、推量・意志・適当・勧誘・婉曲・仮定になります。
今回の場合、下に体言があるので文中で使われる助動詞になります。
推量・意志・適当・勧誘は文末で使われるので今回の場合、違います。
残りの婉曲(〜のような)か仮定(〜としたら)になりますが、今回は「というような〜」の方が訳すと通じるので婉曲になります。
Japanese classics
มัธยมปลาย
次の文章の二重傍線乙の部分の"ん"は婉曲なのですが、なぜ婉曲になるのでしょうか?わかる方教えてください💦
次の学問僧についての文章を読んで、問いに答えなさい。なお、設問の都合上、本文を適宜改めている。
甲斐国に厳融房とか申しける学生、明匠の聞こえありければ、修行者なんど集まりて給仕し、学問しけり。あまりに腹
あしき上人なりけり。修行者ども、荷用しけるに、湯のぬるきをも熱きをも叱りけり。遅く持ちて来るをも腹立ちて、疾く
来たれば、「法師に物食はせじとするか」とて、食ひさして叱りけり。そのあはひを窺はんとて障子の隙より窺へば、「あれ
は何を見るぞ」とて殊に叱りければ、常には心よからねども、よき学生なりければ、忍びてぞ学問しける。
久かが
2.
妹の女房ありけり。最愛の子息に遅れて、人の親の習ひと言ひながら、あながちに嘆き悲しみけり。あたりの人も訪ひ
哀れみけるに、この上人訪はざりければ、「あらうたてや」と言ひけるを、弟子の僧聞きて、「女房の恨み申し給ふなるに、
御訪ひ候へかし」と言へば、例の腹立ちて「無下の女房かな。法師が妹なんど言はん物は普通の在家人に似るべからず。
生老病死の国にありながら愛別離苦の憂へ無かるべしと思ふか。あら不覚や。言ふかひなき女房かな。いでいで、行きて
N=
ざい け にん
つめて来む」とて、かさかさとして行きて、「実にや、法師が訪はぬとて恨み給ふなるは」と言ふに、「あまりの嘆きに心も
あられぬままにや、さる事も申して候ひけん」と言へば、「無下の人かな。生ある物は必ず減す。会ふ者は定めて別る。
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