三代の栄耀一
一睡のうちにして、
大門の跡は一冊
こちら側にある。秀衡の館の跡は田んぼや野原になって、金鶏山だけが形を残している
こなたにあり。秀衡が跡は
田野になりて、金鶏山のみ形を残す。
まず、高館に登ると、 南部地方から流れてくる北上川という大河が見える。衣川は
まづ高館に登れば、
北上川南部より流るる大河なり
衣川は一
和泉の城をまわって流れ、高館の所で大河に合流している。
泰衡たちの旧跡は、
和泉が城を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衡らが旧跡は、
衣が関を隔てて南部地方からの入り口を厳重に警戒して守り、蝦夷の(侵入)を防いでいたと見える。
衣が関を隔てて南部口をさし固め、
蝦夷を防ぐと見えたり。
それにしても、義経は忠義心の厚い家臣たちをえりすぐってこの城に立てこもり、(戦ったが)
この城にこもり、
さても
義臣すぐつて」
功名は一時のもので、今は草むらになっている。(戦争によって)首都が破壊されても
功名一時の草むらとなる。
国破れて一
山や川は(昔のまま)変わらずにあり、
(荒れ果てた)城内にも春がきて、
城春にして
山河あり、
草や木が深々と生い茂っていると、笠を置いてしばらくの間涙を流したのであった。
草青みたりと、笠うち敷きて時の移るまで涙を落としはべりぬ