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質問 大学生・専門学校生・社会人

教育学部などの、教育系に関わる方に質問です。 中学において最も良い給食当番はどのようなものだと考えますか?(教育系に関心がある友達と議論してます) 私は、以下の観点から写真のようなものを考えました。何か問題点や改善点があれば教えてください。 1、全員に仕事がある。 2、... 続きを読む

No. Date ※主とご飯は「スープの人がおいた所」からやること! ※運段は準備又片付けの両方のこと! ※まずは担任が自分のことよりクラスに協力すること!(スープが早さのカギ) 6場所を固定し、メンバーが動く! ・班、給食当番、掃除当番を同じにする。(各1週間交代) 主別 スープ ご飯 A ご飯 班 +スープ ④ 2 ご飯 5 主菜 ② B ご飯 主菜 班 左スープ 左スープ 班 ご飯 副菜 C 牛乳 デザート 運び ストロー 牛乳 おぼん ⑤ 左スク スープ 洗い 3スープ 副菜 6 スープ お茶 デザート おぼん 左スープ スープ ストロー D 班 机上 4机上 主 主 E スープ 右スープ F配合 ご飯 班 運び 班 運 運び 2机上机上 スープ シャスープ 主副 主 運び 拭き 飯 運び 机上6机上 主 スープ スープ ご飯 ご飯 主副 運び運び 運び 運び A班→配善グループ(ご飯2人、スープ2人主副菜各1人) B班→運搬・グループⅠ(ご飯2人、スープ1人、主各1人、お茶1人) C班→連段グループⅡ(牛乳2人、デザート&ストロー2人、おぼん2人) 各列に6個おいていく! D班→自分の番号に対応する人の机上準備&主剤を運ぶ(1人2個) E班→B班と協力してスープを運ぶ。(マスクも左右各4人が) 机上のおばんに1つずつのせて配る。 F班→支援グループⅢ(配書台2人、他4人(班と協力してご飯を運ぶ (1人21) D~Fは支援グループⅠⅡⅢ

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質問 大学生・専門学校生・社会人

大学の過去問なんですが答えがないので困ってます。 解答例作ってくれる人いませんよねー😔😔

以下の文章を読み、 各問に答えなさい。 今日世界的に、とくにわが国で、 なぜ、 医療が一部の人々の問題ではなくて、広く社会全体の問題になってきたのであろうか。 また、次 の章で扱う 「脳死と臓器移植」 や 「説明と同意」 (インフォームド・コンセント)をはじめとして、多くの緊急の問題が急に浮かび上がり、 いろいろと議論されながら、 どうして大多数の人々を納得させる答を出せないのであろうか。 まず、世界的な規模でいえば、 近代文明の発展と爛熟にともなって、農業生産力の増大により、 世界の多くの地域で人間が 〈え> ら解放されるようになった。 だから、 人間の生存に必然的にともなう 〈病い〉 が注目されるようになった上、 後発地域においても、WHO(世 界保健機構)などの働きかけによって医療体制が整うに至り、隠れていた多くの病気が顕在化して、社会問題化するようになったのである。 とくにわが国の場合には、一九六〇年代以降の急速な経済発展が、 病いと医療との形態をほとんど一挙に変えるようになった。 より具体 的にいえば、検診や医療知識の普及、それに医療の専門分化・組織化によって医療の中心が大病院に移り、地域の開業医中心の治療の時代 に見られた家庭生活と医療との繋がりが切れて、医療が、設備の高度化とも相まって、 特別のもの、近寄り難いものになった。 併せて社会 の高齢化により、 慢性疾患が増えるとともに、一生をどう終えるかという 〈死> への関心と結びついて、 いへの関心が人々の間で広く 一般化するようになった、と言うことができるだろう。 では、このような医療への関心のなかで、事態を深刻にしている医療の問題点、 つまり 「脳死と臓器移植」 や 「説明と同意」 などの多く の緊急問題の背後に潜む問題点として、いかなるものがあるだろうか。 観点によって、 そこにはいろいろなものが浮かび上がってくるだ ろうが、 <臨床の知〉の観点からとくに重要なものとして、次の二つを挙げることにしたい。 (1) 健康への幻想 (2) 科学的医療への妄信、 (3) 医療の陥穽への無自覚である。 これらは、のちに示すように、まったく別々のものではなく、互いに結びついているが、それぞれ の論点を浮かび上がらせるために、一応分けて考えていくことにする。 すなわち、ここでまず、 <健康への幻想〉という第一の問題は、 〈病気〉をどういうものとして捉えるか、ということにかかわる。 一般に は病気とは、健康でない状態、 健康の正常に対する異常な状態、正に対する負を帯びた状態、あるいは少なくとも、健康から逸脱した状態 として捉えられ、見なされている。 しかし、 このように捉えられるときには、実は <健康> とはなにかがはっきり規定されていなければ用 をなさないのだが、多くの場合、 健康とは逆にただ病気でない状態として捉えられているか、それとも心身ともに健常な状態と見なされて いるにすぎない。 ちなみに、 WHO によると、 健康は次のように定義されている。 《健康とは、単に病気や虚弱の欠如ということではなく、 身体的、精神 的かつ社会的に見て完全に良好な状態のことである。〉 (一九四七年) この定義は、たしかに目配りがよく、 一見行き届いているように見え るが、右の〈心身ともに健常な状態>というのと X であり、かえって、これまでの発想によって健康を定義することがいかに難しい か、を示している。 以上のような見方に対して、私自身の病気と健康についての見方を提出することにしようと思うが、まず、こういうところから考えてい こう。 一般にひとは、健康なときには自分の身体のことも健康のことも意識しない。 それを意識するのは、身体の不調なとき、〈病気〉に なったときである。 したがって、現在のように社会生活において <健康> がことさらに強調されるのは、なによりも、病気への対し方が 人々にわからなくなって、 病気をただ怖れる気持がつよいからであろう。 人間というのは、きわめて複雑な仕組みをもった生命有機体であり、精神 身体的な存在である。 だから、その働きに故障が起き、不調 に悩まされるようなことは、いつの時代にもあったし、いつでも病気は怖れられた。 しかし、だからといって、 そのことは、病いをただ、 無意味なもの、あるべからざるものとして、否定したことを意味しない。 病気のために生命の危機感に見舞われることによって、深い生命 に目覚めることは、 多くの人々に見られたところである。 とくに、 内部的生命に敏感な作家や芸術家たちの場合に、それがよく示されているが、なかでも、そのような深い生命の日覚めそのもの を小説化したものとして知られているのは、トマス・マンの 「魔の山」である。 ここで 〈魔の山〉 というのは、スイスの高原にある結核療 養所のことであり、 市民生活から隔離されたおそろしげな場所と見なされている。 ある夏の日に、一人の青年ハンスが、ここに療養中の従 兄を見舞いにやってくる。ところが、 彼も病魔に犯されて入院生活を送るようになり、 しかも彼は、 病気の世界にまったく魅せられてしま う。 というのも、これまで平凡で〈健康な市民〉として生きてきた彼が、そこではじめて見出したのは、病いによるYであったからであ る。 「魔の山」 の作中人物の一人は、こう言っている。 《人間の尊厳性と高貴性は精神に、 病気にあるのであって、 一言でいうと、 人間は病

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質問 大学生・専門学校生・社会人

どなたかこの問題の回答を教えてください。 中学二年生 新 基礎の学習 国語 枕草子です。 宜しくお願いします。

ヒント 水晶のようにきらきらと輝くものを読み取 思深めよう 作者の感じ方を踏まえて、自分の意見を書こう 「春はあけぼの。」 「夏は夜。」など「~は….....。」という短い表 現には、言いたいことの核心を簡潔に言い切る効果がある。この 表現にならって、自分はどの季節のどの時間帯がよいと考えるか を主張する一文を、現代語で書きなさい。 用 21について、どんなところがよいか、自分の意見を人に説明す 活 る口調で書きなさい。ただし、「枕草子」にある「をかし」 「つきづ きし」「さらなり」などの言葉を一つ以上現代語にして使うこと。 するのは す。この段では 知 言葉を広げよう ●古文中にある次の言葉は、現代語訳ではどのように表されている か。現代語訳中から抜き出しなさい。 □1 22 「やうやう」 2285「さらなり」 17 1 22「いと」 1 枕草子 カン VEN ◆かわいらしいもの (第百四十五段) 立派な服を着せられた子供 寝てしまった赤ちゃん 寝 当に憎らしい」 っしいと思うものが とても小さな蓮の葉 8 とても小さな にわとりのひな 9 ◆教養に関するエピソード (第二百八十段) こうろ ほう 香炉峰の雪 ちゅうぐうていし 中宮定子に「香炉峰の雪はどうかしら?」 せいしょうなごん と言われた清少納言は、「香炉峰の雪」が とう はくきょい すだれ かか 唐の白居易の漢詩 「香炉峰の雪は簾を撥 げて看る」を踏まえたものだとわかった。 そして漢詩のように簾を巻き上げて見せ た。中宮定子は満足そうにお笑いになっ たという。 もちろんわかっていたわよ。 かわいらしいものは たくさんあるわよ。

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