日本史
高校生
解決済み

山川PP257〜258にて

1866(慶應2)年には、土佐藩出身の坂本龍馬・中岡慎太郎らの仲介で薩摩藩は長州藩と軍事同盟の密約を結び(薩長連合、または薩長同盟)、反幕府に態度を固めた。

次ページにて。

前年に同盟を結んだ薩長両藩は、ついに武力倒幕を決意した。これに対し土佐藩はあくまで公武合体の立場をとり、藩士の後藤象二郎と坂本龍馬とが前藩主の山内豊信(容堂)を通して将軍徳川慶喜に、討幕派の機先を制して政権の返還を進めた。

とあるのですが、坂本龍馬ってどっち派なのでしょうか。こいつ何してるんですか...(笑)

回答

✨ ベストアンサー ✨

坂本龍馬は薩長同盟の仲介を行いましたが、その時、

●坂本龍馬は「薩長が手を取り合って、外国人やっつけよう(攘夷運動を進めたい!)俺はあくまで公武合体派で朝廷も幕府も仲良く温厚に進めたい」という気持ちであって、決して反幕府勢力ではなかったのです。

それに対して、
●薩長は「俺ら最強!幕府を倒したい!」

しかし、薩長同盟を結ぶ時に、坂本龍馬の気持ちと薩長の気持ちはすれ違ったまま結ばれました。
その直後、坂本龍馬は暗殺されたのです。坂本龍馬は薩長同盟の後に小御所会議で辞官納地があり、戊辰戦争になったということを知らずに死んだということです。

教科書分かりづらいからね、笑

ゲスト

なるほど、自分の目的は攘夷、公武合体であり、それを進めるための薩長連合化推進であったが実情が違ったと。理解出来たと思います。ありがとうございました。

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回答

坂本龍馬は両立の立場にありますね(‪笑)
おそらく、自分の手で幕府を終わらせることは立場上できなかったのでは?
でも結局最終的には新政府側ですね、笑

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