新政府は薩摩藩と長州藩(土佐藩、肥前藩)出身者が多く、これを藩閥政治と呼ばれ、政治を独占している状態にありました。
他の藩の出身者からすれば、一握りの人が政治をしていて不公平だと不満が起きます。
まだ比較的政治に参加出来ていた土佐藩、肥前藩の人からは意見を出しても通り難く、薩摩藩と長州藩の意見が通っているとこちらも不満が起きます。
これまでの政治は選挙の制度がなく、国民は政治をする人を決めることが出来ませんでした。
そこで自分たちで政治をする人を決めて国民も政治に参加しよう、不公平をなくそうという動きが起こりました。
そして自分たちが選んだ人が意見などを言ったり、話し合いをする為の国会が必要だということで国会開設を要求することになります。
長くなりましたが参考になれば嬉しいです^_^