回答

これは、倭国の王・武が、中国の宋(南朝)の順帝に送った上表文の一部です。
(上表文は、君主に送る手紙のことです)

倭王・武は、雄略天皇(ワカタケル大王)ではないかと言われています。

「興が死んで、弟の武が即位し、武は自ら「倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七カ国の、軍政官兼安東大将軍の倭国王」と名のった。」
...と書いてあります。

倭王・武が、中国の王・順帝に、
・自分が周辺国をどのように治めているか
・自分の国が、いままでどれほど中国王朝に尽くしてきたか
・高句麗が、どれほど横暴か
...を訴えて、高句麗と戦うための支援を得るために書かれました。

この手紙によって、倭王・武は、宋から、倭・新羅・任那など六カ国の軍事権と支配権を与えられています。

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