回答

✨ ベストアンサー ✨

富岡製糸場で働いた工女の身分は、農家の娘だけではありません。
華族・士族・平民など、さまざまです。
士族の娘は、全体の3割ほどであったようです。

富岡製糸場は、工女に最先端の技術を身につけさせ、今度は地元にその技術を広めさすために、全国から工女を募集しました。
彼女たちは、技術で身をたてるために募集に応じたので、「働かされた」わけではありません。

みみさん。

「農家の娘」のとこが違うんじゃなくて、「働かされた」のとこが違うからウは違うんですね!

はる

富岡製糸場では、「さまざまな身分の娘が働いていた」ということが大切です。

「農家の娘」も「働かされた」も×です。

みみさん。

そゆことでしたか!ありがとうございます!😊

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回答

すみません。私の教科書には士族の娘が半分以上と書いてあるので農民がいないのはわからないです🙇‍♀️

みみさん。

了解です!ありがとうございます!

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1870年頃ということは廃藩置県、徴兵令、地租改正などはがあった頃です。
これらはすべてが士族に持って不満の多いものです。
なぜなら士族の特権が奪われたからです。
そのうちに俸禄の支給というものもあり、これらによって士族は生活に困ります。
ということはその家族たちも困りますよね。息子だったら徴兵令に向かうので娘達が多く働きました。

みみさん。

農民の娘はなぜ富岡製糸場で働かなかったのですか?

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