歴史
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○×でお願いします。
Q1,フランスにおける絶対王政とは、その名の通り国王が国王が絶対的な権力を有し、全ての政策において自ら独断的に決定を行う体制であった。

Q2,1789年とは全国名士会が招集された年であるとともにパリの民衆がバスティーユ監獄を襲撃した年である。

Q3,1789年に出された「人権宣言」はフランス革命の目標を示す文書として評価され、後に1791年に制定された憲法ではその全文として位置づけられた。

Q4,周辺諸国の干渉や国王の逃亡事件により急進派の影響力が強まり、民衆層の助力も得て権力を握った強硬派は、1793年に新たな憲法を制定して、社会権や男性普通選挙など、当時としては急進的な内容を盛り込んだ。

Q5,ナポレオンの統治下で、全国の自治体は県知事が派遣され、中央主権的な国家が形成された。

Q6,ナポレオンの海外遠征により、イタリアやイギリスはフランスの統治下におかれ、フランスと類似の制度が導入されることとなった。

中世 近世 ナポレオン フランス革命 世界史 歴史 高校生 大学生

回答

1.×2.×3.○4.○5.○6.×
自信は無いですが、私はこうだと思います。

ゲスト

回答ありがとうございます。

1番はどの点がバツなのでしょうか。

お願い致します。

croissant

「全ての政策において自ら独断的に」が適さないと感じました。フランスにおける絶対王政には中間団体(社団)といわれるものがあり、国王はこれを介さなければ支配権を行使できないと認知しております。中間団体が王権を支えるとともに制限する力も持つため、私は×になると考えました。

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