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解決済み

領事裁判権を認めたのと、関税自主権がなくなったのは両方とも日米修好通商条約の結んだときですか?
だとしたら、日米和親条約にはなんの役目があったのでしょうか、?
あと、領事裁判権と関税自主権を撤廃したのは両方とも同じ時期ですか?

領事裁判権 関税自主権 公民 いつ だれ 社会 中学生

回答

✨ ベストアンサー ✨

日米和親条約は港を開港しただけで、貿易はみとめてなくて、日米修好通商条約の時に貿易をみとめるついでに、不平等条約をむすんだ、

領事裁判権は陸奥宗光がさきにてっぱいして
その後、小村寿太郎が関税自主権を回復したよ

ありがとうございます🙇🏻‍♀️

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回答

領事裁判権を認めたのと、関税自主権がなくなったのは両方とも日米修好通商条約の結んだときです。

和親条約は日本を開国させ、アメリカの捕鯨や貿易で日本を港としてとして、用いる目的があったと思います。

領事裁判権はノルマントン号事件をきっかけに1894くらい?関税自主権の回復は1911ごろだったかなぁと思います。、

ありがとうございます🙇🏻‍♀️

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