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統帥権干犯問題を理解するにあたり、ワシントン海軍軍縮条約から流れを見たほうが覚えやすいかと思いますので、説明させてもらいます。
元々ロンドン軍縮会議が行われる理由となったのは、第一次世界大戦等でヨーロッパ諸国等、国として疲弊してしまっているので、このままでは世界がどうにもならん状態になってしま!ということで現在の国際連合に繋がる国際連盟が生まれました。そして、そこで国際協調をしよう。その為まず軍備を制限しましょうよと声が上がったわけです。
ちなみに、これはイギリスが中心となってアメリカと手を組み、フランスなどの勝戦国がワシントンに集まって軍備縮小条約に向けて動き始めます。
第一次世界大戦では特に何もしていないのに、美味しい所だけはかっさらい、その前には日露戦争で勝利したことで一流の海軍国となった日本からすれば、この条約は大変不快なものでした。それには理由があって、比率が日本は少なかったのです。なにがどう少なかったかと言いますと、主力艦の比率として米英は五、日本は三でいきましょうという内容です。
これはとても有名な五.五.三の比率と言われるものです。さて、その後にも会議は続きロンドン軍縮会議では更に軍備縮小しましょう。節約しようよ!と声が上がります。最初のワシントンで日本は不本意な比率で承認していますから、今回はどうしたって自分達の意見を通したいわけです。その為に一生懸命話し合いをして、日本なりの保有したい割合を決めて会議へとのぞみます。
しかし、粘ってみても思うような割合は承認されず、目標には届きそうにない。これはどうしたものかと、当時会議に出席していた責任者が日本へと電報を打つわけです。
さて、日本ではこれを聞いて日本海軍のお偉いさん達と、統帥(軍隊指揮)を預かる軍令部長さんも参加、軍政を預かる海軍省のお偉いさんも参加、その他お偉いさんも集まり話し合いが行われました。
さて、ここで話し合いが簡単にはまとまりません。軍令部側と海軍省側で意見がわかれてしまうのです。かたや軍令部は「納得ができないぞけしからん」となり、海軍省側は「妥協しましょうよ」の姿勢。お互い一歩も譲りません。長々と話し合った末にその場で出た結果は「これで政府が最善をつくせばいいじゃないか。条件のみましょう」という事に。当時一切の全権を持っていたのは天皇だったので、天皇へとこの方針でいこうと思うので承認してくださいと報告へ向かうのです。
だがしかし、土壇場で軍令部側が猛反対を言いはじます。一旦決まったのに「やっぱり嫌だ」となってもちろん海軍省側は唖然としますが、もう時間もないし承認されてるだろうからと宥めてもまったく聞く耳持たず。
しかもなお悪いことに軍令部長さんが天皇陛下の元へと赴き、軍令部はロンドン会議の内容には反対ですと言いにいったのです。天皇からすれば「え、決まったって言ったやんけ」という心境でしょう。
そこで、やっと出てくるのが統帥権干犯問題です!!
先ほども書きましたが、統帥権は天皇が持っており、それを扱えるのは天皇がもつ軍隊の指揮権のもとに輔翼する軍令部だけであったわけです。なのに、軍令部が反対しているのにも関わらず、海軍省が勝手にロンドン会議の決定をくだしてしまった、これは統帥権の干犯(軍事指揮権の干渉だ!)ではないのか!と文句を言い始めたというわけです。
これが俗に言う統帥権の干犯です。
最終的な決定権は天皇にあります。でも軍備(今回は潜水艦やら母艦やら、船ですね)を扱える権利を持っているのは軍令部だったわけです。なのに、権限無い海軍省が勝手に話を決めやがった!こっちの権利侵害しやがって!!「統帥権の干犯だ!!」となったわけです。
でもだいたいはあってますよ。天皇から軍備に関しては軍令部が一任されていて、天皇に言う前にまずは軍令部の許しが必要だったのに、海軍省がそれをしなかったことが問題となったんです。私も説明下手ですいません
私も説明下手ですいません。でも、だいたいあってますよ。天皇から一任されていて、まずは軍令部の許しがなければならなかった、ということですかね
めっちゃわかりました\( ˆ V ˆ )/
ありがとうございます☺♡
軍備に関しては 話し合い→軍令部に承認求める→承認得た→天皇に報告。これが求められたってことですー
エラーで送れなかったのに送れてる...連投すいません
お力になれたなら良かったですー頑張ってください^o^
ありがとうございます\( Ö )/♡
軍令部は天皇と同じ権限をもってて
もってない海軍省が天皇の承認なし
しかも軍令部が反対したにも関わらず
決めたのはいけない!てことですか?
理解能力悪くてすいません(;▽;)