✨ ベストアンサー ✨
墾田永年私財法が出るまで、土地は朝廷のものでしたね。しかしその後は貴族が管理する土地である荘園が増加します。
鎌倉時代になると荘園ごとに地頭(武士)が配置されます。しかし、西日本などはまだまだ荘園領主
(荘園を名目上支配している貴族、実際は荘官という人が任されて管理している)
の力が強く、荘園の農民は領主(貴族)と地頭(武士)の二重支配を受けることがありました。
領主と地頭は対立する場合が多く、荘園を2つに分けた例もあります。
室町時代に、なると中央の力が弱まります。室町幕府は戦乱を抑えるため、守護に大きな権限を与えたため荘園は守護に支配されるケースが増えます。→後に守護大名へ
一方農民は、自分たちで自分の身を守るため、惣村などを作り自治を行うようになるので、荘園は徐々に解体されていき秀吉の太閤検地で消滅します。
だいたいこんな感じですかね😅
大名田堵、在地領主は高校の日本史範囲なので日本史得意な人に任せます。。。
そうです!
中央の力が弱まって、荘園が守護に支配されるケースが増えるという流れがよく分かりません…(理解力なくてすみません…)
中央の力が弱まると、地方(守護)の力が強くなります。実際に室町幕府は守護に大きな権限を与えました。
例えば、支配地の荘園の年貢の半分を手に入れて良いなど。
こう言ったものは、期限や場所が限定されていたのですが、守護は武力を背景にどんどんと荘園に侵略していき、荘園が守護に支配されるようになった。
という感じなのですが、説明できてますか😅
.....✍(・∀・*)なるほどぉ.…!中央の力が弱まると守護の力が弱くなるんですね!守護は武力で荘園を支配していった、ということですね!詳しい解説ありがとうございました!助かりました(*ˊ˘ˋ*)♪
時代背景も合わせた詳しい説明ありがとうございます!( ´ ` *)
6行目の「中央」は、幕府のことでしょうか??