日本史
高校生

弥生社会は縄文社会とどこが変化したか教えてください🙏

回答

狩猟からお米を食べるようになった。

sino🌟

ありがとうございます!

ゆの

回答があるようですが私もさせてもらいます笑
変わったことと言っても沢山あります!!
まず、採取経済という狩猟や採集・漁労中心の生活から、水稲耕作が伝わったことにより生産経済へと変わります。北海道と南西諸島には水稲耕作は伝わりませんでした。
そして、板付と菜畑には縄文時代晩期には稲作らしきものがあるったことは覚えておいたほうがいいかと思います。
次に埋葬の方法が変わります。屈葬という手足を折りたたんだ埋葬方法から、伸展葬に変わります。これは食料の安定により死に対する人々の考え方が変わったことを意味します。
そして最後に、住居の形態が変わります。
縄文時代は狩をするため定住せず、簡易的な住居の竪穴住居で暮らしていましたが、弥生時代になると周りを濠で囲った環濠集落や高い場所に家を作る高地性集落が登場します。水稲耕作の伝来により米や水利の取り合いなどが起こったことによりこのような集落ができたとされます。
めちゃくちゃ長文で聞きたいことの趣旨とはズレていたらすみません!!

たいき

縄文時代は狩りをするため定住しない
→クリなどの果実や漁労も盛んになっことで、
定住生活が始まった。具体的に、三内丸山遺跡
からは大型集落跡が発見されてます。

ただし、旧石器時代は、まだ寒かったので、
狩りをして生活していくため、簡易的なテント式の小屋や洞穴などを利用していました。

高地性集落は、あくまで戦いの際の逃げ城的な存在で
生活をしていたのは環濠集落です。

もしかしたら、誤って書いてるかもしれませんが、
少し気になったので補足しました。
迷惑に感じたらごめんなさい。

たいき

「クリなどの果実の収穫」の誤りです。

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