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そもそも第1文のI may or may not go が
未来のことを言ってないからだと思います。
willは「未来」の助動詞(の現在形)だけど
mayに「未来」の意味はないから、
現在のことを推量しています。
「私は(いま)いくかもしれないし、いかないかもしれない。」
それを踏まえると第2文は
「(いま)行くか行かないかは、どれくらい疲れてるかによる」
と言っていると思うので
「どれくらい疲れてるか」の部分は
「(いま)どれくらい疲れてるか」
と言っていると思います。
それと
depend onの時制についても
いまの話の流れから、現在形が正しいと
わかってもらえると思うんですけども、
もし仮に未来の内容(例文では明日とします)について
話をしている場合
depend onは現在の可能性も未来の可能性もあって
現在か未来かで言ってることが違うとおもいます。
(明日)行くか行かないかは、
(明日)どれくらい疲れてるか、
による、
と【現在の時点で決まっている】のならば
depend onは現在だろうし
現在の時点では
(明日)行くか行かないかの決定と
(明日)どれくらい疲れてるかは
関係なく考えられている
(=疲れてても行くかもしれないし、元気バリバリでも行かないかもしれない)
けれども、明日にはやっぱり
行くか行かないかは、疲れ具合次第 になる
ということならば
willをつけると思います
でもたぶん質問者さんはここまで考えてないですよね
質問を見る限り。
たぶん質問者が頭の中に想定してることを言うのならば周りの部分の時制に関係なく
depend onは現在形で良いと思います。
長々と上は解説、下は英語の取り組み方について教えてくださりありがとうございます。
mayが未来のことを表さないと仰っていましたが(上部)、mayはやっぱり 今なんちゃらかもしれないというのを表すので現在というのはおかしくないですか?(疲れているかどうかは今その瞬間わかってる。
例えば、今僕がのののののさんに質問しようとする時に、質問するかどうかは今の疲れ具合によるという例文があった時に、いや、今わかるでしょ!ってなりません?
それを主観的に考えても(独り言)だとしても、結局未来の話だし、客観視してもおかしくないなら、これは未来形でもいいのではないかなと思いました。
いろいろ書いてくださったのにまた質問するのは申し訳ないんですが(僕の理解力不足かもしれません)解説してくださるとすっきりします。
質問者さんは優秀な方なのですね。
僕は一気にいろんなこと言われると
そんなにいま言われても行くか行かないかなんて知らないよ〜
疲れてなけりゃ行くんじゃない?(投げやり)
みたいなことしょっちゅうなので
この文が現在のことだとしてもあんまり違和感がないのですが
まぁでも、違和感を持たれることはわからないことはないんですけどね。
もちろん参考書も誤植とか0ではないだろうけど、
理解できないことを理由に、これは間違いなんだ!というふうに文法を曲解してしまう、と言うのが
文法を学ぶ上で1番良くないと思うので
とりあえず書いてある通りを信じていきたいです。
とにかく1番のポイントは
how tired I am の部分の現在形ですよね
いま疲れてるかどうかはその時点でわかるから
疲れてるから行かない/疲れてないから行く
の二択だろう
私が行くかどうかは、いま疲れてるか疲れてないか次第です
ってのはなんやねんと
でも例えば
「(私)これからクイズを出します。私は行くかもしれないし行かないかもしれません。行くかどうかは私が疲れているか次第です。さぁ、私は行くでしょうか行かないでしょうか」
っていう文脈の一部だったらどうですか?
これだったら違和感ないでしょ。
だから、
この文でhow tired I am が現在形でおかしいと感じるのは、これが「(純粋に)文法的に間違い」だからじゃなくて、特定の文脈に置かなければそれが正しいと感じられないからってことなんですよ。
選択問題で、こういうことを理由に正解から排除する、ということはよくあると思うけど、
あくまで文法の説明としてならば、
ちょっと文脈を補えば理解できる程度のことなので、誤りとまでは思わないです。
例えば三単現のSとか時制の一致とかっていうのとは質が違うと思います。こっちは純粋に文法の誤りだと思いますが。
では、例えば今回の例ではクイズですが、もしクイズではなかったときのば場合には未来形でも良しということですか?
多分今回の質問した文はクイズとは思えない気がするんですが、、
私が言いたいのは
素の文脈(特定の文脈に乗っかっていない)ならば未来の表現の方がしっくりくるのはそう
だけど現在形が文法的に誤り ということではない
ということです。
現在形の場合も未来の場合もあると思うし
それぞれの言いたいことによる
ということです。
クイズに限らないけど、
自分自身のことを他人事のように説明する文脈ならば
現在形でもそんなにおかしくないと思いますよ。
あと、僕が最初のコメントで説明したのは
こういう「文脈を考慮する必要がある文」を理解するための「技術」であって
「取り組み方」とおっしゃっていたけど
「心構え」とか精神論的なことではないので
その点ご理解いただけたら嬉しいです。
なるほどです
長々と本当に今回も考えてくださってありがとうございます😭
いろいろとためになる情報があったのですが、まとめると、今回の場合はどっちでもいいが、(文脈で考えないといけない)、客観視するのか自分がこう!というふうに考えるかで時制が変わってくるということですね!
そうです〜
まぁでも素の文脈だったら確かにおかしい感じはしますよね。
そういった意味でピンとこない部分は僕もちょっと残ってます。
ここからは余計な話です。軽く読み飛ばしてください。
質問者さんが、この文を見て
未来の内容だとおもった
現在の内容だとは思えなかったのは
現在の自分自身のことなのに
「かもしれない」とか「(現在の)疲れ具合次第」とか
自分のことなのに他人事のようだから
現在の自分自身のことを話しているようには感じられない
という点が引っ掛かったからではないですか?
だとしたら、それはおっしゃる通りですが
といっても例文が現在形なので
そこは尊重してあげないと
こういうときどういうふうに理解するかというと
「この文がおかしく感じないようなシチュエーションはどんなものだろうか」
と考えるんです。
現在の自分自身のことなのに他人事
ということは
自分自身を客観視しているということです。
誰かに対して話をしているというよりは
自分自身の独り言かもしれない。
まぁ、今回の場合は、自分のことを客観視した意見を、誰かに対して話してる、と考えても
そんなにおかしくないような気がしますけどね。
あるいは、小説とかで
「私は〜した」「私は〜だった」 主語が「私」
かつ
「〜した」という過去形ではなく
「〜する」「〜である」 というふうに
現在形で話を進めるような小説とかでも
ありえるかなとおもいました。