日本史
高校生
解決済み

歴史総合について質問です。
ワークに
桜田門外の変が起こる→幕府は公武合体をはかる
と書いてあったのですが桜田門外の変と公武合体にはどのような関わりがあるのですか?なぜ桜田門外の変により公武合体がすすめられたのですか?教えてほしいです!

桜田門外の変 公武合体

回答

✨ ベストアンサー ✨

水戸藩では江戸時代〜大正にかけて『大日本史』と言う今までの歴史をまとめる編纂事業を行なっていました。その中から生まれた思想である水戸学には前期、後期があります。そして幕末当時後期水戸学が流行っていました。後期水戸学は簡単に言えば尊王攘夷思想です。そして水戸藩の藩校「弘道館」にて水戸学の講義が行われていたので水戸藩士は後期水戸学の思想に染まり、天皇の勅許を得ずに修好通商条約に調印した井伊直弼(幕府)は尊王思想からも攘夷思想からもかけ離れている訳です。水戸学思想に染まった水戸藩士から恨みを買います。で、結果彼は1860年ぶち56されてしまう訳ですが幕府としてはこうしたイかれた連中の動きを抑制する必要がある訳です。その手段として、天皇から幕府は政権を委任されただけ、と言う面を強調して尊王を見せつけるということです。そして当時の天皇の孝明天皇は攘夷を強く望んでいて、攘夷の実行を約束してくれるならということを条件に公武合体の流れができます。

さくら

気づくの遅くなってすみません💦
なるほど、水戸藩の浪士たちを抑えるためにはじまったのですね!丁寧にご説明ありがとうございます✨
理解できました!!☺️

Pクレゾール

暴発したのは水戸藩の人間ですが、同じような考えの人間が全国にいて、幕府単独ではもう以前のように政権運営が出来ないと気づいたから公武合体という少し前からあった論調が強まったという感じです

さくら

なるほど✨同じような考えの人はたくさんいたんですね!ありがとうございます!!

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