✨ ベストアンサー ✨
まず、
この時まだ北条氏はただの「御家人」です。ちょっと勢いのあるやつくらいの認識でした。
では本題に入りますね。
1199年に頼朝が亡くなると、頼朝の子どもである源頼家が跡を継ぎます。頼家は比企氏と手を組み、他の御家人を牽制していました。
→つまり、頼家は御家人の中でも北条氏より比企氏の方が好きだったわけです。
ちょっとずつ独裁っぽなってる頼家&比企氏を北条政子や時政も黙って見てません。13人の合議制を確立していきます。
→合議制は独裁の対義語です。みんなで話し合おうの体制です。
それでも比企氏(比企能員)は頼家の権力を使って調子乗ってたので、北条時政によって滅ぼされます。
→1203年比企能員の乱
同時に比企能員に加担していた、頼家も伊豆修禅寺に幽閉されます。(1204年に死去)
将軍が途絶えたので、北条時政は3代将軍に源実朝を擁立し、同時に政所の別当も務めるようになります。
→執権の始まりです。
こんな流れがあります🙇
分かりにくいところがあれば言ってください🙇
そんな感じで良いと思います🙇
この時期は藤原氏の他氏排斥の時代と似ています。(承和の変とか応天門の変で有力者を排斥していたころ)
北条氏も他の御家人を排斥して、TOPに立ちました。人物目名を覚えるより、先にこの流れがあることを抑えておくと後々楽になります🙆
ありがとうございます
頼朝は比企氏を贔屓していたから、対立していた北条氏に幽閉された
という解釈で間違いないでしょうか
比企氏の存在が少しあやふやで...急に現れた感じがして覚えにくいですね、、