歴史
中学生
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明治政府はどのように中央集権国家を築いていったのですか?

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①廃藩置県で、殿様が、世襲の知事で軍司令官だったのを辞めさせた。
大名は、今で言うと知事であり、各県にある自衛隊の基地(部隊)の最高司令官だった。

②それができたのは、戊辰戦争など幕末の討幕運動で、佐幕派を力でねじ伏せた。
そして、明治維新後に、倒幕派だった勝った側の殿様を廃藩置県で黙らせた。
その時、西郷なんかは、明治政府の近代軍隊(徴兵によって集められた軍、といっても、主体は、元武士)で、万が一の軍事的な衝突に備えた。だから、直接、戊辰戦争の現場指揮をとった大名はいないので、大名=平和ボケなので、太刀打ちできないから、だれも、反乱を起こしていない。
元家臣に大名の地位を奪われた島津久光は、花火を上げて、不快感を示すが、実際に、実弾を使っていない。
花火も大砲も火薬を使うのだが、花火で止まっている。

③武士の時代の終わりは、戊辰戦争に負けた側の武士は、その時に体験した。
戊辰戦争に勝った側の武士も、明治維新後に、武士の時代の終わりを体験している。

今度は、恩賞が少なかった倒幕派の武士が不平を持って反乱した時は、明治時代の軍隊(幕末負けた側の武士で明治政府に再就職した武士)によって鎮圧されている。
良い例が、西南戦争。明治政府に不満を持った薩摩武士が、まずは、東京の警察をやめて、薩摩に帰った。そこで、戊辰戦争で負けて藩がなくなって失業した武士(浪人)を警察官に雇って、警察官の補充をした。
次に、西南戦争では、幕末の歴戦の兵士だった薩摩武士は強かった。農民主体の徴兵軍隊では、歯が立たなかった。司令官や指揮官は、薩長土肥の出世した元武士で、当然、幕府側で負けた元武士も兵士として参加しているだろうが、明治陸軍では歯が立たなかった。
そこで、警視庁抜刀隊=元武士(戊辰戦争で負けた側の武士)を使って、切り込み攻撃をさせた。
とはいえ、近代軍隊が反乱武士に歯が立たず、警察官(元武士)が兵隊以上の存在になることを恐れた明治政府は、戦場で、兵士と戦うのに、警官は警官としての装備(当時はサーベル=刀のみ)で、戦場に送るとんでもない事をした。でも、戊辰戦争の恨みがあるので、ここぞとばかりに、警視庁抜刀隊は危険な任務だけが、切り込んでいった。
てな感じに、明治政府は都合よく、元武士を使用して、封建時代(武士の時代)から、中央集権国家を作っていった。

④しかし、明治政府は中央集権国家といっても、明治政府(倒幕の原動力)は、薩長であり、長らく、長州藩閥が陸軍で、薩摩藩閥が海軍であった。
両軍から藩閥による出世の違いが無くなったのは、東條英機が活躍する昭和になってからである。
東條は、東北の出身で、戊辰戦争に負けた藩の出身の武士だったので、父がそれ故に出世できなかったので、出世にこだわった。
軍人として戦争に勝つ(日本をどうこうというより)ことより、自身の出世にこだわった節がある。
だから、石原完爾に、その戦略眼の無さを東條上等兵と小馬 鹿にされた。ちなみに、石原完爾も東北出身
海軍の連合艦隊司令官の山本五十六も、戊辰戦争で負けた長岡藩の出身
とはいえ、幕末の薩長の藩閥支配がなくなったときに、軍人としての百戦錬磨のセンスもなくなり、日本は大事に第二次世界大戦に突入していく。日清、日露戦争では、軍の指揮官には、戊辰戦争の実践を経験した者がいっぱいいた。

幕末 薩長土肥 薩長 明治政府 藩閥政治 東条英機 石原完爾 島津久光
翠羅

分かりやすすぎます💫
ありがとうございます!💡

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