歴史
中学生
解決済み

社会が変化とは、なにがおこっていたのでしょうか?

つんでま 宋や高麗 しばしば 日本で した。 風の文 した。 としな み出 に最 4 教養や才能のある女性が集められ, 紫式部の「源氏物語」や, せいしょうなごん ずいひつ まくらのそうし 5 清少納言の随筆 「枕草子」 などが生み出されました。こうした 女性による仮名文学が多いことも,国風文化の特徴です。 とくちょう それまで唐風だった天皇や貴族の服装は、省略されたり変形 されたりして、ゆったりとした独自のものになりました。 貴族 の住宅は,一つ一つの建物が廊下で結ばれ,広い庭や池が備え しんでんづくり ② 10 られるようになりました ( 寝殿造)。 浄土信仰 貴族は,この世での幸福や社会の安定を願 てんだいしゅう しんごんしゅう って、天台宗や真言宗の祈とうなどにたよ な行事を行っていま 鏡もち 七草がゆ . 盆などは,平安時 です。 この中には 国から伝わって ありました。 りました。 しかし, 社会が変化し, 人々の心に不安な気持ちが あみだにょらい 高まると, 10世紀半ばには, 念仏を唱えて阿弥陀如来にすがり, ごくらくじょうど よう ど しんこう 15 死後に極楽浄土へ生まれ変わることを願う浄土信仰が都でおこ りました。 11世紀になると, 浄土信仰は地方にも広まりました。 巻頭12 ふじわらのよりみち びょうどういんほうおうどう 12 藤原頼通が造らせた, 宇治 (京都府) の平等院鳳凰堂は,このこ ろを代表する阿弥陀堂です。 国風文化の具体例を, 本文からぬき出しまし ぎお 祇園御 学芸術資 1男性貴 した。 ② 室内 なく、 りまし てんじょう 国風文化の特色を 天平文化

回答

✨ ベストアンサー ✨

当時は末法思想と呼ばれる考えが流行っていました。
末法思想とは仏教の予言に基づく考えで、
お釈迦様がお亡くなりになって1000年は正法の時代(仏の教えが正しく守られ、悟りを開く者がいる世の中)。
正法の後の1000年は像法の時代
(仏の教えは形式上伝わってはいるが、悟りを開く者がいない世の中)
そしてその後10,000年間は末法の時代
(仏の教えは完全に忘れ去られ、現世で救われる事が不可能な混沌の時代)が訪れるとされ、日本ではそれが1052年のことだと当時は信じられていました。
事実当時の仏教寺院は僧兵やら強訴やら仏の教えとは真反対のようなことを始めていましたし、武士の誕生、摂関家は衰退し、院政時代の到来を予期するそんな時代だったもんですから、人々はほれ見たことがやっぱり末法の時代が来るんだ!もうこの世の終わりだ!と恐れ慄いていたわけです。(一種の終末思想)
これが社会の変化です。
ちなみにこの末法思想に恐れ慄いて極楽浄土になんとか行きたいと願って、時の摂関家の氏長者である藤原頼通が建てさせたのが宇治にある平等院鳳凰堂です。あれは極楽浄土をイメージして作られたとされていますし、1052年が開山ですから末法思想が広く普及していた事がわかります。
本来仏教とは現世利益が目的なのですが、この時期の政治的不安、社会の変革、末法思想などが合わさった事で一種の終末思想的になり、現世は無理でも来世は極楽浄土に産まれますよーにという願いを多くの人が持っていたとされています。

あああ

思ってたより深いですね!歴史を学ぶのが楽しくなります!ありがとうございます!

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