歴史
中学生

【中学歴史】
豊臣秀吉が2回目の朝鮮侵略、慶長の役を行ったのは何故ですか?具体的な理由を教えてくれると嬉しいです!

中学2年 歴史 日本史 中学歴史 安土桃山時代

回答

①tomosanの答えは、朝鮮出兵の口実というか、大義です。
そもそも、本当の目的は、唐入り(明への侵攻)です。

②それでは、なぜ、日本に悪さをしていない明や朝鮮と戦争をする必要があったかというと、戦国時代が終わったからです。
戦国時代の武士は、戦をして、敵に勝って、褒美をもらうのが仕事でした。
さらに、そういう武士をいっぱい雇わないと、大名は生き残れませんでした。
そして、秀吉が日本を平定して戦国時代を終えたのは良いのですが、
戦争をする事しかできない武士は、戦争が終われば、失業になります。
戦争しかできない武士が、大量の失業者になります。
これって、ヤバいですよね。
戦争しか知らない武士という失業者がゴロゴロいると言うことは、テロや反乱(内乱)になるきっかけになりますよね。

③秀吉が迫られる政策
つまり、失業対策として、秀吉は唐入りやその前哨戦の朝鮮出兵を計画します。
為政者にとって、失業対策に戦争を選択しないと、政権が持たなかったのです。

④家康は、海外に戦争をしなくて良かった理由
秀吉の朝鮮出兵の失敗で、武士や大名も、海外侵略という選択肢を諦めます。
武士は死ぬし、褒美がもらえなかった。
大名は、戦費の出費しただけで、褒美が出なかった。
その事で、骨折り損のくたびれもうけを経験します。
このことで、豊臣政権は、短命になる遠因になるのですが、
戦国時代から、平和の時代への転換ができる。
徳川幕府の時代は、関ヶ原の合戦で大名の数減らしと、大坂冬の陣と夏の陣で浪人と浪人の不満を解消する。
そのことで、西軍側の大名と武士(浪人)にわりを食わせつつ。
平和な時代にして行く。
それでも、武士の血の気(殺人狂)としての気風は残ったが、生類憐れみの令で、決定的に、戦国時代の気風を断ち切る。
そらそうでしょ、犬ですら殺すなっていう政策だから、人を簡単に殺すなんて簡単に出来ない風潮になった。

⑤安土桃山時代が短命で、江戸時代が平和で長期政権になった原因は、豊臣政権だけでなく、内戦を終えた国にとって、重大な問題と同じです。
武装した失業者をいかに、強盗や内戦の火種になる兵にさせず、平和な仕事に再就職させるかという現代社会の課題にも共通する要素です。

江戸時代 朝鮮出兵 唐入り 戦国時代 失業問題
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このまんまだと思います😊

おもち

文禄の役、慶長の役ともにこちらの理由という認識であっているでしょうか?回答ありがとうございます!

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