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解決済み

松尾座礁の「奥の細道」について質問です。
「平泉」の部分には
「三代の栄えう(ごめんなさい、漢字が打てませんでした。)一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。」
という記述がありますが、この中の「大門の跡は一里こなたにあり。」には、「平泉館がいかに大きかったかということ」を表す意味があると聞きました。
なぜそう言えるのでしょうか、どなたか理由を教えてください。

古文 俳諧 松尾芭蕉 蕉風俳諧

回答

✨ ベストアンサー ✨

_大門(門)から平泉館まで一里(4km弱)あるのです。
_門から館まで、4km、歩けば、一時間弱掛かるでしょうか?如何に敷地面積か広いか分かりますよね?
_皇居(江戸城)だって、門から舘まで、1km弱しかないのですよ。半径が約4倍ですから、敷地面積は、皇居の16倍以上あった、と、言うことです。

だーおか PLUS

理解できました。ありがとうございます。

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