✨ ベストアンサー ✨
日本史でしたらその解釈でOKです🙆♂️
世界史ですと、もう少し背景を把握しておく必要があります。
日清戦争での敗北により、清の弱体化が他国にも暴露されて、欧米諸国は租借による領土の切り分けを行いました。
また、中国はアロー戦争の敗北で1860年に北京条約を結ばされます。この条約では、キリスト教布教の自由が決められました。キリスト教と昔から中国にある儒教道徳は相反する面があるので、清ではキリスト教を禁止していたのですが、それが解除される形です。
よって、中国内では仇教運動というキリスト教排斥運動が勃発します。つまり、反ヨーロッパ運動です。欧米諸国の租借(植民地化)で中国人は怒りに燃えていたこともあり、この反ヨーロッパ運動はかなり盛り上がります。そして、この運動を行った特に有名な集団が義和団です。
義和団が結構過激に反発していき、スローガンに
「扶清滅洋」(清を育てて西洋を滅ぼせ)を掲げます。実際にドイツ人宣教師殺害事件などを起こし実力もありました。清政府も義和団めちゃ強いやん!このまま西洋をぶっ潰そう!!って思うようになります。
その勢いのまま、義和団は北京を占領し、清国は西洋に宣戦布告します。
清「ヨーロッパ、日本、アメリカかかってこいや!」
そしたら、とんでもないメンバーがゾロゾロこの喧嘩を買います。=8カ国共同出兵 (米、日、英etc)
こんなの清は勝てるはずないですね。あっけなく北京が占領されます。
こんな感じの流れがあります。🙏
すごく分かりやすい説明ありがとうございます!!!
助かりました🥹
ありがとうございます!
どういう背景があるのか教えていただけると嬉しいです🥲