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律令制が整っていけば暮らしは豊かになり、自然と人口も増えます。その分の口分田を補う為、口分田用の土地が欲しかった朝廷はまず養老七年格(三世一身法)を出したんですが、いかんせん折角耕しても、朝廷に返還される世代になると「どうせ返す畑なんて耕しても意味ねえよ」って事で、田畑を放置して元の荒れ地に戻ってしまうので、口分田増加にはいまいち効果がなかったので、永遠の私有を許可する天平十五年格(墾田永年私財法)が出されるんです。
それとこの頃になると重い税負担に耐えかねた農民は本貫地(戸籍に登録された土地)から離れる浮浪や逃亡などが横行し始めます。そうすると本来逃げた連中に充てがわれた口分田も耕作が行われないと荒れ果ててしまうのです。
とは言っても租は大体取れ高の3%を国に納めるものですが、そこまで重税ではなく、むしろ口分田とは農民の生活安定の為にあったものなので、租自体はそれ程負担になっていません。
農民を主に苦しめたのは出挙(現在で言うところの借金の米バージョン)と兵役、調・庸などを都に運ぶ運脚、などの多種多様な税や負担が男にばかり掛かりまくったのです。
話がそれましたが、口分田は財政安定の為というよりあくまで農民の生活安定の為のものですから、朝廷が開墾を推進した理由は模範解答の口分田が不足したからがやはり正しいですね
長文ありがとうございましたっ!
とっても分かりやすかったですっ!
模範解答どおりきちんと覚え直したいと思います!
論理がわかりよかったです!