日本史
高校生
解決済み

歴史総合 日清戦争後の日本政府についてです。
添付した教科書の文(赤いアンダーライン)を見て思ったのですが、初の政党内閣を作ったのは原敬さんではないのですか?

官に限 不満な 出さ H1003 「解党 I うち いて軍人を総督として統治を始めた。 こうして日本は植民地をもつ国家 |大成会 1890 4410 しゅう ぎいん か はんすう けんせいとう 首 て衆議院の過半数を占める憲政党を結成した。 1898(明治31) 年、第3 ないの? いとお となった。 日清戦争後、日本政府は軍備拡張と産業育成を進めたが、その財源と 第3次伊藤 ぞうちょう して地租の増徴をはかると、これに反対する自由・進歩両党は合同し 国民協会 1892 さいごうつぐみち 西郷従道 たいじん おおくましげのぶ 次伊藤博文内閣は退陣し、大隈重信を首相とする初の政党内閣が成立し た。 しかし、憲政党は分裂して内閣は長続きせず、かわって成 やまがたありとも ぐんぶだいじんげんえきぶかんせい 立した第2次山県有朋内閣は軍部大臣現役武官制 ⑤を定めるな ど、政党の影響力を抑制する制度を整えた。 その後、伊藤は りっけんせいゆうかい 1900(明治33) 年に立憲政友会」を結成し、第4次伊藤内閣を組 かんりょう 織したが、貴族院などの反発により、翌年官僚・貴族院勢力 25 かつらたろう を代表する 桂 太郎に政権をゆずり、山県らとともに、非公式 げんろう に天皇を補佐する元老 ⑥ となった。
歴史総合 日本史 日本政府

回答

回答

他の方が指摘しているように、原内閣は「本格的な」政党内閣となります。
「初の」政党内閣であった第1次大隈重信内閣は憲政党のトップであった大隈が組閣しています。しかし、大隈は衆議院に議席はなかったことや、爵位を持っていたことなどから、国民の選挙で選ばれた現代の我々がイメージするような政党内閣とは異なる点があります。
これと比較すると、衆議院に議席があり、爵位ももたず多数党の党首という条件を兼ね備えた原敬内閣は本格的な政党内閣といえるわけです。

なるほど…細部まで説明していただきありがとうございます✨

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