歴史
中学生
解決済み

55年体制を分かりやすく、簡単に教えてください🙇

回答

✨ ベストアンサー ✨

サンフランシスコ講和会議より少し前に講和の方法で日本国内で世論が二つに割れます。
当時の自由党や保守系政党、社会党右派は全面講和
当時の社会党左派を始めとする革新系政党は単独講和
の二つに割れることになります。
全面講和はアメリカを始めとする西側諸国とまずは講和条約を締結して、日本の国際社会復帰と国内の復興を早めようという考え方であり、当時の社会情勢的に現実的な考え方
単独講和はアメリカだけでなく、ソ連などの東側陣営ともそれぞれ個々に講和条約を締結していくべきという考え方

この二つの考えで社会党という政党は右派と左派の二つに分裂してしまいます。

そして時は流れ約3年後、1954年に鳩山一郎内閣が誕生し
「自主外交、憲法改正、再軍備」の三本柱を主軸にした政治を行おうとします。
社会党は講和条約の条件で分裂はしたものの、元はと言えば戦争反対ということが根底にあり、憲法改正による再軍備は右派左派問わず絶対に阻止したいものでしたので、1955年に再度社会党は再統一を果たします。そして憲法改正阻止に必要な3分の1以上の議席確保に成功します。対する日本民主党党首兼内閣総理大臣であった鳩山一郎はこのままではまずいと考えて、社会党に対抗する形で自由党と合併。自由民主党(自民党)が誕生します。

55年体制とはこれらの二つの大きな政党が自民党優勢のまま革新勢力が憲法改正阻止に必要な3分の1以上の議席を確保するという状態が1955年から1993年の細川護煕内閣成立まで続いた政治状況のことを言います。

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?