江戸や大坂周辺の土地では領主が錯綜しており、それを整理統合することで幕府の支配を強化することが目的であり、幕府の命令によって大名の領地替えをすることによって、全国に幕府の威信を示す効果も狙っていました。
しかし真の目的は幕府の財政収入のアップさせることでした。
年貢量の多い土地を没収することによって幕府の財政収入の増加を図ることであり、要は優良な領地は幕府に提供しろいうものでした。
ただこの上知令は大名・旗本、町民、農民から強い反発を受け、幕府内でも老中・土井利位、堀田正睦らが反対派の名乗りを上げ、上知令は撤回され、これによって老中首座・水野忠邦は失脚することになります。