歴史
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アメリカの冷戦政策を支持する保守勢力がいたのは何故ですか?

あんぼ じょうやく 安保条約) を結びました。 これによって, 日本の安全と東アジア の平和を守るという理由から、占領終結後もアメリカ軍基地が日 本国内に残されることになりました。 おがさわら 1952年4月28日, サンフランシスコ平和条約が発効し, 日本 は独立を回復しました。 しかし, 沖縄や小笠原諸島は, その後も アメリカの統治下に置かれました。 自民党長期政権 と安保条約改定 ばくだん 日本国内では, 1954年にアメリカの水素爆弾 すいばく 5 ふくりゅうまる 6 ひ (水爆) の実験で第五福竜丸が被ばくした事件 げんすいばく をきっかけに, 原水爆禁止運動が全国に広がりました。 また, ア 10 メリカの冷戦政策を批判する社会党などの革新勢力が, 日米安保 条約や自衛隊に反対しました。 ➡p.276 アメリカの冷戦政策を支持する保守勢力は、 革新勢力の動きに 危機感をいだいて, 1955年に自由民主党 (自民党)を結成しました。 自民党は、野党第一党の社会党と対立しながら, 38年間にわたっ ねんたいせい 15 て政権をとり続けました。 これを55年体制と呼びます。 ➡p.279 自民党と社会党の対立の頂点は, 1960年の日米安保条約の改定 きしのぶすけ でした。 岸信介内閣は、 アメリカとの関係をより対等にし、強化 することを目指して、新しい日米安保条約を結びましたが,それ
ghq 55年体制 安保闘争

回答

✨ ベストアンサー ✨

というよりはこの当時の最も合理的な外交方針が対米協調外交だったということ。この時代のアメリカは世界の金(ゴールドの方)の約75%を保有していた、まさしく金持ち国であった。そしてこの当時の日本には3つの対米外交方針が存在したと言える。対米自主、協調、独立。対米独立はアメリカをトップとするより、東側陣営につこうとする社会党左派などの革新勢力。対米協調は基本的にアメリカの言うことをハイハイ聞くアメリカ追従外交。鳩山一郎の前身の総理である吉田茂がこれに当たる。そして鳩山一郎の政治目標は対米自主外交だったが、(自主憲法制定、自主防衛などを目指した為)結局対米自主外交は協調外交に毛が生えた程度のものだったので、アメリカに付いていくのが最も合理的な事であるのは変わらず、冷戦政策を支持したと言える。

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ありがとうございます!!🙇⋱

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