ローマ=カトリック教会とビザンツ帝国(東ローマ帝国)のコンスタンティノープル教会は、どちらがキリスト教の主導権を握るかで争っていました。コンスタンティノープル教会の長はビザンツの皇帝なので、ビザンツ皇帝は政治的にも宗教的にも力を持つ、まさしく絶対的な存在でした。一方でローマ=カトリック教会は、教皇は政治的な影響力を持たないため、周りのゲルマン国家やコンスタンティノープル教会から圧力を受けていました。教会はそれらの勢力に対抗するために後ろ盾となる存在を探していたのです。これがカール大帝の戴冠の時代背景です。
アジア系異民族アヴール人を撃退したうえ、西ヨーロッパの主要部を制圧したことがローマ=カトリック教会から評価され、カール大帝は、西暦800年のクリスマスの日に、ローマ教皇レオ3世によって西ローマ皇帝として戴冠されました。
カール大帝は戴冠後、アーヘン(地名)の宮殿にアルクィンなどの神学者を呼び、ラテン語教育に当らせました。ゲルマン民族大移動以来政治的に混乱していた西ヨーロッパでしたが、カール大帝の登場により、安定期を迎え、古代ギリシアや古代ローマの文化(これらを合わせて”古典古代文化”と言います)が復活しました。ビザンツ帝国で正当なローマの文化が継承されたのに対し、西ヨーロッパでは、ゲルマン文化、古典古代文化、キリスト教文化が融合した西ヨーロッパ中世文化という全く別の文化が誕生しました。
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