日本史
高校生
解決済み

江戸時代、8代将軍徳川吉宗は次男宗武と四男宗尹に
それぞれ田安家・一橋家をおこさせて朝廷との協調関係も
維持して徳川将軍家の安定をはかった。

とされているのですが、なぜ三卿をおこすことが
朝廷との協調関係を維持することにつながるのでしょうか。
おしえてほしいです。

回答

✨ ベストアンサー ✨

山川出版社の教科書『詳説日本史』の記述のことだと思います。この部分は段落の最初に「吉宗政権期の末期には、種々の国家制度を充実させていった。」とあり、その具体例として公事方御定書があげられています。その後、「また吉宗は」と話題を変えて「徳川将軍家の安定をはかった。」ことについて、(1)御三卿の設置、(2)朝廷との協調関係の維持をあげて説明しています。
御三卿をおこすことと、朝廷との協調関係を維持することの2つを通して、徳川将軍家の安定をはかったという記述です。
ちなみに、朝廷との協調関係については、朝廷が求めていた大嘗祭の復興を実現し、桜町天皇が求める譲位を認め、桃園天皇が即位しています。

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なるほどです。自分の読解力不足です。。
分かりやすい解説ありがとうございます🥺

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