歴史
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どなたか、条約改正(関税自主権の回復、領事裁判権の撤廃)までのどうやってそこまで辿り着いたかの道のりをおおまかに教えてください!

回答

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1858日米修好通商条約など安政の五箇国条約を締結

1871〜1873岩倉使節団派遣。条約改正交渉が初期目的だったが、全く相手にされず帰国

寺島宗則の交渉:独英の反対で失敗 井上馨の鹿鳴館外交:国内の反対で失敗

大隈重信の外交:大隈重信が襲撃され瀕死のため退陣(失敗)

青木周蔵の外交:英国が賛成。大津事件で青木周蔵失脚(失敗)。

陸奥宗光の外交:ロシアを牽制したい英国と日英通商航海条約を締結(領事裁判権撤廃)(1894年締結、1911年満期)

小村寿太郎の外交:日英通商航海条約などは1911年満期なので1910年に条約を結んでいた英国など13か国と条約改正交渉を開始するが英国とは失敗。代わりにアメリカと交渉して日米通商航海条約を締結(関税自主権回復)。他の国の条約も順次改正されていった。

ありがとうございます!

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