✨ ベストアンサー ✨
大きなデメリットとして「寛政異学の禁」「処士横議の禁」が挙げられます! 「寛政異学の禁」によって西洋学問が大きく制限され、また朱子学を幕府公認学問と定められたため、身分制度の強化、幕府自身による経済活動の制限、海外交流の更なる制限、等々の政策が実行されました!また「処士横議の禁」によって在野の幕府に対する意見を禁じたため、激動の幕末を前にして、有意な意見に耳を傾けることが出来なくなりました!有名なところでは林子平を罰し、その著書である「海国兵談」を発禁・焼却処分にしたことはその顕著な悪例で、迫りくる列強の脅威から目を背け、何の施策も打たない・打てない方向性にしてしまったんです!これらは幕府崩壊の遠因になったと言えるのではないでしょう!あとのデメリットとしては、他の方が挙げられている通り、厳しい倹約や統制を世間に課したため、一般市民たちは大きな負担を強いられたことでしょう!一揆の数もかなり増えたと言います!メリットは世間の姿勢を正し、田沼意次の政策を引き継ぎつつ悪い部分の改善に努めたところでしょう!これにより幕府財政は多少なりとも好転したようです。 ただしこの改善した財政を世間に還元することも出来ず、幕政立て直しには到底及ばなかったレベルだったので、メリットと呼べるかどうか微妙なところです!ただ世間の風紀を正したことは間違いないです!松平定信の清廉潔白な姿勢は評価できますし、白河藩における政策も見事なものだったのは認めます!人格者であったことも確かでしょう!しかし所詮は一地方の為政者レベルの業績しかありません!日本の国を背負う首相の立場としては、大きな能力不足との評価になってしまいます!寛政の改革は幕府の体制を整え、財政を立て直すなど一定の成果をあげました!幕府だけではなく諸藩でも財政危機を克服すべく、寛政の改革の前後から藩政の改革が相次ぎ、効果があったようです!ですが、厳しい倹約や統制を強いられた民衆はこれに反発しました!将軍徳川家斉との対立も相まって、松平定信は1793年に老中の座を解かれてしまいました!これにより寛政の改革も終わりを迎え、寛政の改革後は、欧米諸国の接近や天明の飢饉によって幕藩体制は大きく揺らいでいきます!そして、約70年後の徳川幕府終焉へと繋がっていきました!いくら成果をあげてもルールが厳しければ反乱を招いてしまうんです!
細かいところまでご丁寧にありがとうございます!!!更に表まで、!本当にありがとうございます😭