国語
中学生

国語の握手というお話からの質問です。

1、なぜルロイ修道士は西洋料理店でプレーンオムレツを頼んだのですか?

2、最後の握手でなぜルロイ修道士は顔をしかめたのでしょうか?

教えていただきたいです。

国語 物語

回答

1.
プレーンオムレツが食べたかったからじゃないですか…?

冗談はさておいて、こういうのは関連する事柄を文章から抜き出して、推理するのが鉄板のやり方です。

まず、「プレーンオムレツ」が登場する前後の文から考えます。
・プレーンオムレツが運ばれてきた場面
・プレーンオムレツを食べている(?)場面
→食事をしているのは、どこからどこまででしょうか?
そして、こうした場面を手がかりに、なぜルロイ修道士はプレーンオムレツを頼んだのか考えてみてください。

ちなみにですが、「なぜ頼んだのか」で詰まるのであれば、発想を逆転して「もしかすると、頼まなければならなかったのでは?」と考えてみるのも一つの手です。

2.
これも考え方は一緒です。
ラストでルロイ修道士は顔をしかめていますが、ほかに顔をしかめた場面はなかったでしょうか?
そして、顔をしかめた場面では、どういったことが書かれていたでしょうか?

それらを整理してみると、なぜルロイ修道士が顔をしかめたのかが見えてくると思います。

補足として、これは小説であることを念頭に置いておいてください。小説内で同じ表現が複数箇所で使われている場合、そこには必ず意味があります。
そのため、顔をしかめているのがルロイ修道士だろうが「わたし」だろうが、同じ「顔をしかめた」という表現を使っている以上、なんらかの関連性があります。
このことも考慮して再度文章を読み直して(必要そうな箇所を探して)みてください。

あい

1に関しては、元気に見せるために頼んだという考えと子供たちとの思い出を思い出してだと思っていたのですがどうでしょうか、、

2はルロイ修道士が感情を隠すためにしかめたという考えと、子供たちがよくルロイ修道士の癖を真似していたのでルロイ修道士もはじめての握手の時に主人公が顔をしかめたのを最後の握手で真似したという考えなのですがこちらはどうでしょうか、

すいか

1.
「元気に見せるため」というのはあり得ると思います。実際ルロイ修道士の身体はボロボロでしたし。

「子どもたちとの思い出を思い出して」というのは、何かそう思った理由等ありますでしょうか?

2.
「感情を隠すため」というのも、そう思ったきっかけや理由等あったら教えていただけると助かります。

「真似をした」とありますが、どうして真似してみせたのかわかりますでしょうか?

あい

1、ルロイ修道士は子供たちのために鶏を育てていたので卵が取れるはずです。その卵を使ってオムレツを作ったことがあるんじゃないかと思いました。そのオムレツを子供たちと食べた思い出があるんじゃないかと思いました。

2、真似に関してはルロイ修道士の指言葉を子供たちはよく真似していたのでルロイ修道士も主人公の真似をしたのかなと思いました。

感情を隠すに関しては、ルロイ修道士は主人公の方から今まで自分がやってたような握手をされて嬉しかった気持ちと死にたくないという泣きたい気持ちがあったんじゃないかと、でもそれを見せないようにしてたのかなと思いました。

すいか

もしかするともう課題提出後かもしれないですが、思ったことを書きますね。

1.なるほど、たしかに「鶏舎で仕事をしていた」旨が書かれているので、間違っていないと思います。
良い着眼点ですね。

もう少し深入りしてみましょう。
卵料理を子どもたちと食べた経験があるなら、なぜ数ある卵料理の中でもプレーンオムレツだったのでしょうか?
ここでプレーンオムレツの登場する本文を見返すと、「前のような大食らい」といった会話文があります。
さらにヒントを付け足すと、プレーンオムレツというのは卵料理の中でもかなりボリュームのない料理です。そして、ルロイ修道士はボリュームのないプレーンオムレツですら食べることができていないんですよね。昔は「大食らい」だったにも関わらず…。

2.真似に関して、子どもたちが真似していたから、自分も真似し返した、という考察はあり得ると思います。表現が「しかめてみせた」で、ただ手が痛くて顔をしかめてしまったのではなく、あえて主人公に対して「しかめた顔を見せている」のですから、ある意味“やり返し“の要素も含んでいると思います。

感情を隠すことに対してはいかがでしょうか。
まず、真似されて嬉しい気持ちがあったとありますが、これは何かそう思った根拠等ありますでしょうか? 本文中にルロイ修道士に「真似されたい」といった気持ちが書かれてあれば成り立ちますが、私では見つけられず…。

また、死にたくなくて泣きたい気持ちがあったかもどうでしょう。ルロイ修道士は、最後の方で(死ぬことに対して)「天国へ行くのですから、そう怖くはありませんよ。」と発言しています。本人が死ぬのは怖くないとはっきり言っているのですから、そうなのでしょう。

「顔をしかめてみせた」ことで、本当に思っている感情を隠すことも可能性としては考えられます。ただその場合、その「本当に思っている感情」が何なのか、再度考える必要があると思います。

こういうやつの目のつけどころは、基本的に前後の文です。
今回の場合、
死ぬことに対しての話→親指たてた→握手して上下に激しく振った→顔をしかめてみせた
ですので、この「死ぬことに対しての話」や「親指をたてた」、「握手した」要素を考慮した方が良いかと思います。

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