日本史
高校生
大学受験生です。東大型の日本史の論述問題です。
この問題が全く分かりません。特に「律令国家との関わりを踏まえて」が何を書けばいいののかちんぷんかんぷんです。また、この問題の史料文もよく理解できなく、何を読み取ればいいのか分かりません。
よろしくお願いします
次の(1)~(5)の文章を読んで, 下記の設問に答えなさい。
(1) 摂政、関白を置かず, 天皇親政の「理想的」な治世とされた醍醐天皇の時代を最後に
班田収授は行われなくなり, 調·庸などの徴収も困難となっていった。 そのため、律公同
家は財政を維持することが難しくなっていた。
(2) 尾張国司であった藤原元命は,不当に高い税率を課したり,出挙の利息を加徴したりす
るなどの収奪を行っていた。これに対し、尾張国の郡司と農民らは,元命の暴政を 「尾張
国郡司百姓等解」にまとめ, 朝廷に訴えた。 その結果,元命は国司を解任された。
(3) 9世紀以降,各種の史料には「力田の輩」 「富豪の輩」などと呼ばれる人々の姿が見ら
れるようになった。「新猿楽記』 には,名を請作する田中豊益という架空の人物が登場す
るが、そこには,豊益が米だけでなく, 麦や大豆や小豆など種々の農作物を栽培していた
ことや,彼の下での農作業には, 多くの農民が携わっていたことが描かれている。
(4) 平将門は,藤原忠平の下で朝廷を警備する任務に就いていたが、都での栄達が望めなかっ
たため,関東に戻った。やがて, 平将門は下総の猿島を本拠地として, 一族の者や在地の
有力者を従え,農民も糾合し,勢力を伸ばしていった。そして, 関東の大半を占領し, 親
皇と称した。
(5) 伊予擦の藤原純友は, 瀬戸内地方の海賊の平定に当たっていたが,任期が終わっても都
に戻らなかった。その後,伊予の日振島を本拠に海賊集団を率いて反乱を起こした。しか
し,清和天皇の孫である源経基らにより鎮圧された。
設問
9世紀から10世紀における武士の発生と武士団の形成の過程について, 律令国家との関
わりをふまえて, 7行以内 (注: 1行30字)で説明しなさい。
回答
まだ回答がありません。
疑問は解決しましたか?
この質問を見ている人は
こちらの質問も見ています😉