世界史
高校生

百年戦争の原因にもなったイギリスとフランス間の対立に関することについて教えてください。

プランタジネット朝の英王ヘンリ2世はフランス国内の領土を獲得したのに、なぜ仏王に臣従しなければならない立場だったのかわかりません。

ネットで調べたら、英王は仏王からフランス国内の領土を与えてもらっている、と書かれてありましたが、自分(英王)の力で勝ち取った領土ではないということですか?

もし、仏王から分け与えてもらったのならば、なぜ仏王は英王に分け与えてあげた領土を奪還しようとしているのかが、わかりません。

長々と書いてしまい、すみません。
どなたか回答お願いします。

百年戦争

回答

結論から言うと、フランス王が自分から領土を与えたのではありません。順番に説明します。
まず、フランスについてです。フランスはフランク王国から分裂した後、国王よりも諸侯(地域豪族のようなもの)の権力が強い緩やかな王国となりました。そこに、スカンディナヴィア半島辺り(現在の北欧地域)出身のノルマン人が侵入したのです。彼らの航海技術は凄まじいもので、フランスは国家が滅亡する危機感を感じたのです。フランス国王は、彼らに土地をプレゼントする代わりに国内に侵略しないことを約束させました。そしてこの土地がノルマンディー公国となり、現在のノルマンディー地方がこれに相当します。
ここでイングランド(現在我々が言うイギリスとは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの地域から構成されています。)の話に移ります。イングランドは、その昔アングロサクソン人というゲルマン系の民族が支配していました。それを上述のノルマンディー公国のウィリアムが侵略したのです。ウィリアムはイングランドを征服し(ノルマン・コンクエストという)、ノルマン朝を創始、ウィリアム一世を名乗りました。つまり、フランスで国王に服従するものがイングランドでは国王という状態となったのです。
時が移り、ノルマン朝が断絶すると、王家の親戚に当たるアンジュー伯アンリが、イングランド国王に就任し、プランタジネット朝を創始しました。イングランドの領土は、アンリがもともとフランス国内に所有していた土地を合わせてさらに拡大し、フランスの約半分の土地がイングランドの領土となってしまったのです。もちろんプランタジネット朝の王は、イングランドでは国王ですが、フランスでは一諸侯に過ぎません。このように血縁関係でフランス内にどんどん領土を拡大するイングランドに、フランスは危機感を抱いていました。
しかし、イングランドがプランタジネット朝ジョン王の時、イングランドはフランスのカペー朝フィリップ二世との戦争に敗れ、フランス内のイングランド領の多くを失いました。そのためジョン王は欠地王のあだ名がつきました。
さらに時が過ぎ、フランスのカペー家が断絶すると、カペー家の分家であるヴァロワ家が王を継ぎました。これに不満を抱いたのが、母親がカペー家出身のイングランド王(プランタジネット朝)エドワード三世です。彼は、フランス王がフランドル地方(イングランドにとっては重要な毛織物業の産地であり、英仏の抗争の地であった。)を一方的にフランス領とすると、フランスに戦を仕掛けました。これが英仏百年戦争の始まりです。百年戦争は始めイングランドが優勢で、フランスも国王が捕虜になる始末でした。そこに登場したのがジャンヌ・ダルクでした。彼女は英仏の戦略的なシンボルであったオルレアン戦で活躍しました。(仮にオルレアンがイングランドの手に渡ったならば、フランス全土がイングランドのものになっていた可能性があったそうです。)ジャンヌ・ダルクはその後イングランド軍に拘束され、処刑されてしまいますが、ジャンヌ・ダルクのおかげで即位したフランス王シャルル七世は、最終的にイングランド軍を本土に撤退させ、フランス国土をほぼ完全に恢復しました。(イングランドは最後の大陸領土としてカレーという都市を持っていましたが、近世に入ってフランスに奪還されました。)これにより英仏百年戦争は終結しました。

長々となってしまいましたが、イングランドがフランス内に領土を持つことができたのは血縁関係が大きな役割をになっていたということです。

ユッキー

アンジュー伯アンリ(イギリス王ヘンリ二世)はもとはフランスの一諸侯だったのです。

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?