日本史
高校生
解決済み

室町時代に惣村ができて農民たちが自治を始めた。
その後戦国大名や神社が町を作り始めた。と習いましたが、
町ができると惣村は消えてしまうのですか?あくまで、家や田んぼがある生活の拠点が「惣村」で商人たちが商売をする場が城下町や門前町などの「町」で2つは共存するもの、という解釈であっていますか?
土地的な位置関係もどうなっていたのか知りたいです。

室町 土地制度 惣村

回答

✨ ベストアンサー ✨

室町時代のうち、足利義満の時期に南北朝の統一がなされ幕府が守護を通じて全国支配をしますが、それ以前の南北朝時代には強力な政治権力がなかった時期と言えます。また、応仁の乱により幕府の守護を通して全国支配をする体制は崩壊して以降も同じく、中央の権力が衰えます。このように政治権力の弱い時期には、人々は戦乱から自分達を守るため団結して自治的な地域によるまとまりを作りました。荘園の中には、自然発生的にいくつかの自治的な村が生まれました。この農民たちがみずからつくりだした自立的・自治的な村を惣村と言います。では、惣村がその後どのように展開していくのかというと、山川出版の『詳説日本史』では、「中世の長い歴史を経て、村は百姓の家屋敷から構成される集落を中心に、田畑の耕地や野・山・浜を含む広い領域を持つ小社会として成熟した。そこには、百姓の小経営と暮らしを支える自治的な組織が生み出され、農業生産のうえに成り立つ幕藩体制にとって、もっとも重要な基盤となった」と説明されています。つまり、中世に成立した惣村は百姓たちの暮らしを支えるものであったから、幕府はその百姓たちの自治的な組織を残しつつ支配をしていったのです。ですから、惣村が消えてしまうことはありません。
惣村と町の関係については、現在の都市と農山漁村の関係で考えたら良いと思います。農山漁村で生産されたものが都市に流通していきます。物流の拠点となった港や街道には、港町や宿場町が繁栄します。
ゆうなさんがどこの地域にお住まいなのかわからないので、もしかしたら的外れになるかもしれませんが、自分の住んでいる地域の町がもともと何に由来するのかを考えたら、中世の村や町のことがイメージできるのではないかと思います。

ぷりん

解説ありがとうございます。まだ疑問点が残るので質問させてください。
戦国大名が作った町は城下町、寺院勢力が作った町は門前町などいろんな町があったと思いますが町は誰でも作れたのですか?
商売をするなどの特定の目的のある人々が集まって自然にできた感じになるのですか?

喜重郎

楽市令について考えてみるといいと思います。教科書では、「戦国大名は楽市令を出してこれらの楽市を保護したり、商品流通をさかんにするために、みずから楽市を新設したりした」とあります。中世の社会は最初にお話ししたように中央政府の権力が弱い時代なので、交通の要衝など人の集まる場所に自然発生的にできた町では商人たちが自由な商業取引を行うために楽市を設定していました。こちらは人々が集まりやすい場所に都市ができた例と考えるといいと思います。それに加えて、戦国大名が領国の商業を活性化させるため、自らの権力により楽市を行い商人を集めたために生まれた都市もあったのです。お分かりいただけましたか?

ぷりん

理解できました!
ありがとうございます!

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