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元寇はどのようにして起こったのですか?

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モンゴルから日本へ2回攻めてきました
手紙送ったけど返事無かったとかだったような…
2回目攻めてきました
1回目を文永の役
2回目を弘安の役、この2つを合わせて元寇と言います。文永、弘安逆だったらごめんなさい💦

そして、昔の船は風(嵐)の力を借りて船を漕いでいました。なので、嵐の力を借りて日本に到着しました。モンゴルの皆さんは嵐の中遠い日本を目指してきたので疲れていたのです。なので日本には有利だったんです。

日本の戦いは審査員?がいて、よーいドン(?)という感じで始めてましたが、
モンゴルの場合急に攻めてきたので、日本はびっくりしました。
日本は刀で戦いましたが、モンゴルは てつはう という謎の丸いヤツを使って戦いました。てつはうは爆発💥します。

まとめると嵐のおかげで日本は勝った(モンゴルが出ていった?)ということです
なので、嵐には感謝ですね。
ちなみに嵐はイケメンな方達ではありません

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回答

日本が元からきた「元に服従しろよ〜ん~?無視すんなら戦争するぞおらおらおら〜」という内容の手紙をずっと無視して怒った元軍が攻めてきました。6回トライして無視してきたので激おこです。
ちなみに6回目に戦争するぞーと脅されたんですが、これを無視したあとにあれ、もしかしてやばい?となりました。日本に危機感ありませんでした。
もっというと、敵国に金を輸出したりしている日本を先に潰したほうが良くね?となって日本侵略計画が始まりました。支配していた高麗人に行かせたんですが、日本に一年間滞在させた高麗人がなぜか「侵略やめたほうがいいですって!日本やばいっす!」と進言したそうなんですがフビライ・ハンはスルーしました。一体、日本に滞在中になにがあったんでしょうか。
最初の元寇、文永の役で乗った高麗の人たちが作った船が手抜き工事だったんじゃ?と言われているそうです。その時高麗人は散々な目にあったので。
日本軍に副将が負傷させられてやむなく退避。
2回目の元寇、弘安の役では日本が作った防塁という壁が役に立ったそうです。
そして更に3ヶ月ほど海に居ました。夏の九州に。
夏に海の上で一つや2つ発生するもの…台風です。台風にやられて退避しました。
台風起こらないはずないので元の作戦ミスといえるかもしれませんね。
こんな感じで元寇起きて元が負けました!
長文失礼しました…💦

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