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両統迭立は、大覚寺統と持明院統とから交互に天皇を出す約束のようなものであり、南北朝時代以前の鎌倉時代に鎌倉幕府が仲立ちをして決めた決まり事かと。
両統迭立に不満を持った後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕をして、建武の新政を始めたんです。しかし天皇中心の政治にしたことで武士の不満を買い上手くいかず、足利尊氏が後醍醐天皇を京都から追放して光明天皇を擁立しました。これが北朝です。
一方で追放された後醍醐天皇は吉野の山にこもり、三種の神器を持っている自分こそが正当な天皇だと主張します。これが南朝です。
日本の天皇は海外のように王冠を被らず、三種の神器が皇位を表すことになります。後醍醐天皇は京都を追放された時に三種の神器を置いて行ったように見えましたが、実はそれが偽物で、本物は後醍醐天皇が所持していたんです。
長々と説明するとこんな感じです。
ポイントとしては
京都の持明院統の光明天皇→北朝
吉野の大覚寺統の後醍醐天皇→南朝
と書く。
両統迭立の言葉は使い方が違う。ですかね。
頑張って上手くまとめて見てください。