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後醍醐天皇が実権を握っていた「建武の新政」が短い期間で崩壊してしまった。

足利尊氏が、武士の地位が下がってしまうのではないかと考え光明天皇を次の天皇として擁立して室町幕府を樹立。(北朝)

後醍醐天皇はこれに対抗して京都から吉野(奈良)へ行き、南朝を開く。

それぞれが正当性を主張し、衝突してしまう。全国の武士たちもどちらかにつき、戦乱が巻き起こった。

間違っていたら申し訳ないです🙇🏻‍♀️
少しでも役に立てたら嬉しいです✨

何となく流れが掴めました!有難うございます!

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