回答

✨ ベストアンサー ✨

政府は増税をしたかった。しかし、自由党と進歩党の反対により、法案が否決された。伊藤内閣は衆議院を解散をした。すぐに自由党と進歩党が手を組み、憲政党となった。今選挙しても議会運営が厳しいと判断した伊藤首相は新政党結成に動いた。しかし、伊藤と同じく力を持っている山縣有朋の反発により、政府はまとまらなかった。そのため、伊藤首相は辞職した。

当時首相は、政府・元老の助言に基づき、天皇によって首相を命じられ(大命拝下)、了承すれば組閣に入る。
第三次伊藤内閣の後、憲政党が力を持ち、情勢が厳しいと判断した政府は、天皇に板垣・大隈両名を首相に推す。天皇より大命拝下がなされた板垣・大隈は話し合い、大隈を首相にする第一次大隈内閣が成立した。

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?