歴史
中学生

歴史の 喜望峰 と三角貿易 について詳しく教えてください … 。
お願いします(๑•̀ㅁ•́๑)✧

回答

《喜望峰について》

大航海時代(1488年)にポルトガルのバルトロメウ=ディアスがヨーロッパ人として初めて到達したアフリカ大陸南端(最南端ではない)の岬です。ポルトガルのディアン2世が「この岬から北東に向かえばインドに辿り着くことができる」と考えた所から『希望の岬』と名付けました。英語圏では『Cape of good hope(良い希望の岬)』と呼ばれているので日本では『喜望峰』と呼ばれる事が殆どです。

1489年 有名なポルトガルの航海者 ヴァスコ・ダ・ガマが寄港地として喜望峰の近辺に入植したのですが維持が困難であったため放棄されました。

そして、1652年 オランダがオランダ東インド会社への補給基地として喜望峰近辺にケープタウンを建設しました。

三角貿易の詳細は情けないながら私自身よく分かっていないのでお教えする事ができません、、本当にすみません(><)

陽莉 。

うおおおお、細かく教えていただきありがとうございます…!!!

分かりやすい…(*ˊᵕˋ*)

こまちゃん

ありがとうございます(*´`*)

ヴァスコ・ダ・ガマは本当にしつこいくらい
名前が出てくるので
今、陽莉 。さんがお勉強されている範囲は
しっかり脳にインプットした方が良いですよ( •̀ω•́ )و

陽莉 。

そうなんですね!!!
覚えておきます … !

アッ 勝手ながらフォローさせていただきました
すみません( )

こまちゃん

いえいえ、すみませんなんて
とんでもないですよ!

フォロー返させていただきますね(*´`)

この回答にコメントする

三角貿易→二国間の貿易では収支の均衡がとれない場合、第三国を介入させて全体の収支の均衡を図り、貿易量を拡大しようという貿易方法。
経済史上、十八世紀にイギリス(綿布)、西アフリカ(奴隷)、西インド諸島(綿花)間で行われたものが知られる。
喜望峰→南アフリカ共和国南西端の岬。ケープタウンの南48キロメートルに位置する。
1488年、ポルトガル王の命で航海中のB=ディアスが発見し、「嵐の岬」と命 名。
王はインド航路発見の希望を抱き、「喜望峰」と改名。
97年、バスコ=ダ=ガマはこの岬を回って東航、翌年インドに到達した。

陽莉 。

わかりやすく教えていただきありがとうございます…!!!

有難い…(*ˊᵕˋ*)

細雪

いえいえ~

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?