WWⅠと日中戦争をくっつけるのは、ちょっと意味合いが違うような気がしますが、
社会の先生的には、民族自決を日本が無視していると言う答えを欲しいから、出題されたのでしょうね。
❶経済が疲弊した日本は、第一次世界大戦の教訓とか考える余裕がなかった。と言うことが最大の理由でしょうかね。
❷陸軍の永田鉄山は、WWⅠの教訓として、日本が、総力戦をしやすい体勢にいかに移行するか考えていましたからね。
彼が、暗殺された事もあり、教訓が生かせないのは、陸軍内で、権力闘争をしたりしていたからだと思っています。
あと、WWⅠの教訓って何だと思っているのですか?
①WWⅠは総力戦であり、総力戦=工業力(資源の確保)であり、中国が目標でなく、対米、対ソ戦が、主眼であった。
そのためには、中国の資源などが必要で、当時の日本軍は、軟弱で政治的にも混乱している中国は、武力で従えるべきと考えていた。
つまり、WWⅠのこれからの戦争は、総力戦という、教訓を生かしていたのですが、手法が間違っていた。
②WWⅠは塹壕戦であり、日中戦争には、長期戦な塹壕戦なんてそんなに起こっていない。中国軍が弱すぎた。
WWⅠの塹壕戦の解答として、WWⅡの戦車による電撃作戦や縦深攻撃につながるが、それ以前に士気の違いで、日本軍が戦闘では有利だったので、旧態依然の戦闘(機甲師団や戦車主体の戦い)でなくても、戦闘はけりがついた。
③日本軍は、WWⅠより、日清・日露戦争の権益や勝利したイメージに引きずられて、時代遅れな事をしていたので、日中戦争とWWⅠをひっつけるのは、少し無理があると個人的には感じます。
日清・日露戦争は幕末の戊辰戦争の経験者が軍の中枢にいたが、日中戦争のころは、戦争を経験した軍人が少なくなっていた方が、原因があると思います。