)にあてはまる語句を書きなさい。
口(1) Aは, 3世紀の日本のようすについての記述が
見られる中国の歴史書「競志」倭人伝の一部。「そ
の国」とはO[
は女王の②[
に使いを送り,皇帝から金印などを授かったとい
(史料の読解〉次の史料を読んで, 右の文中の[
A
その国の王はもとは男であったが,争いが
絶えなかったので, 国々が共同して[ a ]
ぎし、わじんでん
]のことで、[a]
]。[a ]は239年に競
を王に立てた。[a ]は神に仕え.まじな
いによって人々を治めた。
-[ a ]が
死ぬと大きな墓がつくられ,100人余りの奴
ひ どれい
きんいん
蝉(奴隷)がいっしょにうめられた。
う。
口(2) Bは, 7世紀初めに聖徳太子が役人の心がまえ
として定めたの[
しょうとくたいし
B
ーに日く,和をもって貫しとなし、争うこと
のないように心がけよ。
二に日く、あつく三宝を敬え。三宝とは、仏」 てはまる語句は,L
法福である。
三に日く,[b ]の器を受けたら、必ず誰
いわ
とうと
J。(b ]にあ
]である。
]となった太子は、
さんぼう
うやま
推古天皇の③[
【b ]を中心とした国づくりを進めた。
みことのり
んでこれに従え。
]がよんだ
口(3) Cは,8世紀にO[
「貧窮間答歌」。貴族である[① ]が,農民の立場
に立ってよんだもので,最古の歌集である
r[
C
人間に生まれ 人なみに田をつくるのに
よれよれになったぼろを肩にかけつぶれか
かった土間の上にわらをしき 父母はまくら
の方に 妻や子は足の方にいてなげき悲
しんでいる……それなのに むちをもった
里長が戸口で税を出せとどなりたてる……
ひんきゅうもんどう
]」に収められている。
さとおさ
きさき
口(4) Dは, O[
なった祝いの席でよんだもの。[① ]は子の頼通
とともに@[
口(5) Eは,1221年におきたの[
頼朝の妻であった[
D
]が、娘が天皇の妃と
(う)
もちづき
この世をば わが世とぞ思ぶ 望月の
(え)
いわ
よりみち
欠けたることも無しと思へば
]政治の全盛時代を築いた。
]の乱の際。
が御家人た
E
みなの者,心をひとつにして聞きなさい。
頼朝公が幕府を開いて以来, 官位といい, 慰
賞の土地といい, その恩は山よりも高く, 海
よりも深いものです。 それに報いたいという
志は浅くないはずです。 名誉を重んずる者
は,今すぐ京都に向かって出陣し, 逆臣をう
ちとって, 幕府を守りなさい。
よりとも
こけにん
よりとも
ばく。
おん
しょう
ちに言ったとされる言葉である。
むく
この戦いは幕府軍の大勝に終わり,乱の中心人
こころざし
めいよ
おき
物であった®[
J上皇は,隠岐に流さ
しゅつじん
ぎゃくしん
れた。
口(6) Fは, 1428年におきた①[
ついての記録。近江(滋賀県)の坂本でおこった民
衆の反乱が,近畿地方一帯に広がった。
[c]は高利貸しを営んでいた質屋で,
]に
F
正長元(1428)年9月, 天下の土民が蜂起
した。徳政とさけんで, 酒屋, [ c ], 寺院
などを破壊し,いろいろな品物を勝手に略
奪し,借金証文をすべて破棄した。管領が
これを鎮圧した。
しょうちょう
ど みん
ほう き
おう み
さかもと
は かい
りゃく
だつ
しょうもん
ちんあつ
だいじょういんにっ きもくろく
(「大乗院日記自録」より)
]という。