歴史
中学生

第二次世界大戦後の東京裁判?についてですが、どうして戦争に大きく関わった人は死刑までされたのですか?
そもそもの原因はニューヨークですし、仕方なく指導者をやらされた人や、大戦景気?に呑まれて行動していただけの人などはいなかったのですか?

回答

現在の社会体制にもつながっており、歴史認識が絡むQ&Aですので、相当言葉を選ばなくてはならないQ&Aですね。
しかし、質問自体は、良く歴史を勉強しているからでてくる素朴な疑問ですから、大変価値のあるQ&Aだと思います。

①東条英機
彼は色んな側面はあります。
○真面目(天皇の忠実)、努力家(勉強秀才)
×出世欲(長州閥で出世できなかった父の反動)、天才じゃない(戦略眼に劣る。高級軍人としては、致命的)

彼は、自らの出世のために日中戦争に参加しています。
日中戦争をすれば、中国の市場(そもそも満州の市場)をねらったいたアメリカは中国を支援します。つまり、日中戦争で武勲をあげて出世するということは、いずれ、詰むということです。でも彼や多くの陸軍の将校は理解できなかった。
つまり、多くの陸軍将校は、戦略眼がない目先の出世しか見えない俗物です。
だから、「仕方なく指導者をやらされた」というより、因果応報というか、自業自得です。

とはいえ、陸軍組織の因果は、誰かが引き受けなくてはいけません。(人生って数奇ですよね)
阿南惟幾陸相(陸軍大臣)は、終戦に向けて、内閣と陸軍の板挟みになりながら、陸軍内で徹底抗戦を唱えクーデターをもしかねない陸軍をまとめ、無事終戦の筋道をたて、自刃しています。

②石原完爾は、戦略眼もあり、万里の長城の北(=中華でない蛮族の地)はなんとかなるが、長城より南は軍事行動はいけないと考えていました。
しかし、彼のおこした満州事変の悪影響で、結果オーライって空気が陸軍にはできてしまい、陸軍の要職にありながら、日中戦争を防ぎきれなかった。
さらに、彼の才能は天賦の才の部分も大きく、非凡なので陸軍の主流になれず、予備役編入になっています。

戦争の天才とも言われた石原完爾は、戦後すぐ、戦争放棄(武力放棄)の現在の憲法の意義を見ぬき、好意的でしたし、それを外交上でも戦略的に使えることまで見ぬいています。その見識からも、彼が日本に勝利に導く完璧な軍人ではなかったが、軍人としては非凡だと思います。

①②については、手前味噌ですが、私の過去のQ&Aのリンクはっておきます。
https://www.clearnotebooks.com/ja/questions/1198239
https://www.clearnotebooks.com/ja/questions/1197823

③東京裁判は、おかしな軍事裁判。
その点は、当時から、裁かれる日本以外の国の裁判官も指摘しているが、戦勝国の都合で開催されている。
開戦当時なかった国際法で、東京裁判が裁かれている。
そんなの戦犯だと言われても、どうしようもない言いがかり。
そして、事後法で裁いたのに、「人道に対する罪」と「平和に対する罪」という罪は、その後戦後の戦争では裁かれていない。
アメリカのイラクに対する行為は、裁かれていない。=自分が作って、自分は守らないんなら、アメリカの大義もしょせんその程度。
(アメリカにとって都合の良い時は、その罪状が使われているかも知れませんが、アメリカ自体は、自らを裁ききれていない。)

総力戦の戦争において、非戦闘員と戦闘員の区別は難しいのですが、原爆投下や東京大空襲は本来、非戦闘員の大量殺人と言われても仕方ない。
とはいえ、重爆(重爆撃機)による都市爆撃は、日本も重慶でしているので、アメリカのことは非難できる立場でもないんですがね。

④アメリカの執念
本来、アメリカは満州の利権が欲しかった。
日露戦争の仲介もその意図があるからしたのでしょう。
でも、日本政府はその事をある程度理解していたが、日露戦争は総力戦でもあり多くの日本兵が戦死した。
(太平洋戦争の方が戦死者や死者は多いでしょうが、当時としては多かった。)
だから、日本の世論は、親族が戦死して得た利権を、なぜ、満州利権を全部取れないんだという思いがあった。

で、①②に少し戻るが、日露戦争の講和→満州事変→日中戦争→太平洋戦争とつながっている。
一般的なアメリカ人は、そんなことこだわりがないでしょうが、アメリカの中枢はその事がつながっている。
だから、戦犯は、陸軍枠、海軍枠と、陸軍枠なのだが関東軍枠もあるともいわれる。
一方、海軍人のアメリカとの内通を疑う意見もある。
海軍は海の軍隊なので、基本陸軍より海外との接点が多い軍隊なので、アメリカとの接点も多い。一部の海軍軍人は、アメリカ留学の時などに、何らかの接触があっても不思議は無い。
たまたまかも知れないが、日米が一番戦ったはずの海軍側からは、死刑がでていない。
戦後の自衛隊でも、海自は帝国海軍の伝統とアメリカのハイブリッドのような組織の雰囲気があるが、陸自はあまり旧陸軍の影響は受けていない。(警察予備隊発足時、旧陸軍出身者も多いので、まったくないかというとそうでも無い。)これは、アメリカの意図が働いていているかも知れない。

★歴史は必然の連続であり、つながっている。
一見、満州事変や日中戦争や太平洋戦争に直接関わっていなくても、その恩恵はうけている。戦争経済で、経済はドーピング状態とはいえ、経済はまわっていますからね。
そもそも、目先の利益や保身で、都合の悪いことに沈黙をしてはいけない。たとえ、損くじでも、ダメなものダメと言わなくてはいけない。
★WWⅠ~現在も、資本主義の世界だから、WWⅢが起こる可能性はある。
★問題の根本が解決していないと、何度でもよく似た問題が起こる。
その再発するスパンが人の寿命より長いか短いかの差はありますけどね。
★歴史が好きで、歴史を勉強していて感じるのですが、偶然か必然か、人生は、因果応報が多い。
国とか家族とか組織の因縁は、原因と結果が同じ人とは限らない。良い人がいつも、損しているように見えるが、それも運命なのかも知れません。
★今回のNaoka『菜.緒.花.』さんの質問は、同時に、今を生きる歴史の当事者でもあるあなたに対する自問自答でもあります。

WWⅢが起こった際、その真価がとわれます。
WWⅢが起こらなかっても、資本主義の限界はあるので、想定できませんが世界規模の混乱は避けられないと考えています。
WWⅢも過去2回の世界大戦同様に、資本主義の問題点の表出の一つの形に過ぎないのですから。

最後に、
因果応報の考え方からいうと、戦勝国(連合国)側も先のWWⅡで因果を積んでますので、安泰というわけにはいかないでしょうね。

Naoka『菜.緒.花.』さんにとて、腑に落ちるQ&Aの回答になったでしょうか?

第二次世界大戦 満州事変 主体的・対話的深い学び 東条英機
ひふみ

誤字など修正
×真面目(天皇の忠実)
○真面目(天皇に対して誠実。戦争回避を思う天皇の意をくみ、総理になった時は、日米開戦回避を試みる。でも結局できない。)

×一方、海軍人
○(歴史の分析は様々で)一方、海軍の軍人

Naoka

ありがとうございました!
あの、、あまり関係なくはなってしまうのですが、日露戦争にはアメリカが仲介したのですか?知らなかったです、、どちら側についたのですか?

ひふみ

日露戦争って、結構歴史的に重要な戦争です。

【本題に入る前に、WW0の解説】
日露戦争は、歴史研究者の中では、WW0といわれ、WWⅠの要素が色々でています。
・2陣営同士の戦い。(イギリスとドイツの3Cと3B政策が絡んでいる。)
・総力戦(日本にとっては、借金して予備戦力も使いはたいした総力戦。ロシアにとっては、極東の極地戦)
・機関銃と、その対策による塹壕戦。(これは、WWⅠの西部戦線(独仏の戦場)であり、塹壕戦の解決策が、WWⅡの戦車による機甲戦)

ドイツはロシアが南下政策をしてくると3B政策と衝突するので、ロシアに極東への東進を進める。
そうすれば、極東(中国大陸)で、ロシアvsイギリスがおこり、
イギリスの3C政策が遅れるので、その間に、3Cと3Bの重なるところ(中東)をドイツがとろうと思っていた。

日露戦争の結果、ロシアはイギリス側になっていくので、ドイツはWWⅠで二正面作戦をせざるおえず敗戦国となる。二正面作戦がWWⅠの敗因と考えたドイツは、WWⅡで、ソ連(ロシア)の大地に大ドイツを建設して、地政学的に二正面にならないようになる事を夢見る。結果、WWⅡの独ソ戦では、ナチスドイツの親衛隊が他民族排除のために殺しまくる。

イギリスは、圧倒的な海軍(7つの海を制したとも言われていた)で、単独で今までしていたが、極東での軍拡において、日本を利用する事を考え、日英同盟を締結。日露戦争では、海戦はイギリスの代理戦争を日本海軍がしたようなもの。
①当時の日本は、幕末の幕府の小栗忠順がドックを整備する手立てをしていたので、その甲斐あって、日本は船の修理は自力でできた。
②しかし、当時は、戦艦の建造はできなかったので、イギリスから買うしか無かった。その後、日本も戦艦の建造が可能になり、戦艦大和建造につながっていく。
もし、イギリスが好意的に売ってくれなかったら、軍艦をそろえられなかったかもしれない。
③一説によれば、日本海海戦で、日本海軍(連合艦隊)が敗戦しても、イギリスは、イギリスの極東艦隊が、ロシア艦隊(バルチック艦隊)を撃滅する気があったらしい。
④バルチック艦隊は、スエズ運河通行(最短距離)ができなかったり、イギリスの影響のある港では、食料や水などの補給が受けられていない。

【本題】
①イギリスの支援もあり、日本は戦いやすかった。
②本来は、勝てる見込みのない日本に、戦費を貸してくれた。(利子はとられます。)
③満州での陸戦の勝利や、日本海海戦の勝利と、日本側のロシア国内の不安定化工作により、ロシアは、継戦意志を失います。
陸戦では、ロシアの北海道への陽動作戦を警戒して温存していた予備戦力すら、旅順攻略に使っている。死者も日清戦争の比では無かった。

ロシアは、陸海で負けているけど、もしロシアが、もう少し戦争を続けていたら、日本が財政的に破綻した。
ロシアには、まだ、大量の陸軍部隊が存在していたから、継戦は、可能であった。日本はこれ以上武器弾薬も買えないし、兵士がいない。

★そこで、両方にこの辺で戦争をやめたらどうかねと勧める第三者のアメリカの出番になる。
ロシアは、日本には戦場で負けている(戦術的敗北)をしているけど、戦略的にはまだ戦える。
つまり、国として負けた状態じゃないから、ロシアのメンツを保つためにも、敵国から講和の話を言われたくなかった。
通常、戦勝国で講和会議がおこなわれるが、日露戦争の講和会議は、アメリカ・ニューハンプシャー州ポーツマス近郊のポーツマス海軍造船所でおこなった。
★これにより、ロシアは、国内外に多少のメンツを保った。アメリカの仲介もあったから、戦争をやめただけという名目がたった。
だから、賠償金の支払い=敗戦国というイメージだから、断固拒否した。
その代わり、比較的、ロシア領になった時期の新しい、樺太くらいなら、半分あげるということで、日本は南樺太と得る。
そもそも、樺太と千島列島は、日露の境界があやふやだった辺境で、樺太・千島交換条約を明治政府はロシアとしている。=ロシアにとって、樺太は辺境なので、あまりこだわりが無かった。(アメリカのアラスカも最初はロシア領だったが、アメリカが買い受けている。辺境の最近得た領土に対するロシアの認識である。広大な国土のアメリカとロシアは、国内に植民地があるといわるような国である。)

日本の一般の国民視点では、臥薪嘗胆でがんばってきて、多額の借金もしているのに、賠償金がもらえないので、国内で暴動が起きる。
★この暴動が、後に、太平洋戦争につながっていく遠因になる。当時の人は、そんなことはつゆとも知らない。

外交に無償はない。
何か国益があるからするのである。アメリカ的には、中国大陸(満州の利権)が欲しかった。
アメリカ的には、「日本は、本来、総力戦で泥沼の日露戦争していたら、日本は負けて、ロシアは日本列島を領土になったでしょ。そこに助け船をだして、日露戦争を勝利で講和できたのだから、満州鉄道を協同で経営させてくださいよ。」って思惑があった。
★実際、アメリカ軍が満州で、日本軍と一緒にロシアと戦っていないが、講和の流れを作ったのは、アメリカがいたからできたことです。

軍事や外交の才能や知識の無い人(=そう言ったセンスの無い人)には、理解できないかも知れないけど、
戦争って、戦場で兵隊同士の銃撃戦だけが戦争じゃない。
この点は、太平洋戦争の戦争指導者や、戦後の日本人に欠けているセンスである。

日本政府(もしくは、全権委任されている小村寿太郎)は、その事は理解しているから、満州鉄道の共同経営は、アメリカに水面下ではOKを出していたのかも知れません。
しかし、日本での暴動(日比谷焼打事件)により、その外交カードを日本政府は使えなくなってしまいます。(多くの国は、外交より内政優先ですから、それが原因で、条約が守られない事がたまにあります。)

そうなると、アメリカにしたら、約束を破られたって感じになりますよね。
アメリカとイギリスは仲が良いので、日英同盟だから、アメリカも協力してくれたのでしょう。
でも、アメリカと日本の間に隙間風がでたことで、WWⅠのあと、日英同盟も解消されていきます。

ロシアは、日露戦争の敗戦後、イギリスと手を組みWWⅠを共にドイツと戦います。
しかし、ドイツのロシアの内乱工作で、帝政ロシアは、WWⅠの途中に国が崩壊します。

イギリスは、本来、イデオロギー的に合わないソ連とも密約というか裏外交で、距離を縮め、WWⅡでは、イギリスとアメリカとソ連でドイツに対抗していきます。
ソ連は、当時から共産国家として、世界から孤立していましたので、時には、ドイツや日本と条約を締結して、本来は、仮想敵(戦争すべき相手)なのに、一時的に互いに戦争しない約束をするなど、色々うまく立ちまわったおかげで、WWⅡの戦勝国になります。

★長文を書いたのは、こういった外交の歴史を知って欲しかったからです。
それを学ぶことにより、米中関係や、米ソ関係や、日本の外交など、現在の国際情勢を考える素養を育てて欲しいと思っています。

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