✨ ベストアンサー ✨
結論から述べると、優れている唐の文化や技術や政治制度を取り入れることが重要だと考えていたからです。
そのために以前から遣隋使や遣唐使を送っていたのです。
618年、中国では唐という国ができ、律令に基づいた中央集権国家を成立させます。
各地に遠征をおこなったため、東アジアでは国際的な緊張状態に陥り、中央集権国家を作ろうという機運が高まりました。
日本では、氏姓制度に基づき蘇我氏が権力を掌握する姿勢に中大兄皇子(天智天皇)や中臣鎌足は危機感を覚え、乙巳の変を起こし、大化の改新を行いました。そこで優れた唐を見本として律令国家を目指しました。天皇を中心として、律令によって人民を支配する仕組みを取りいれたのです。
中国の文化や技術、制度などは進んでいるため、当時の日本は遣唐使などを用いてそれらを取り入れました。
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おそらく主さんの先生は主さんたち生徒自身に考えてほしいと思ってるのではないでしょうか。
これらの情報や回答を機に、主さんが自分で調査し、自分なりの答えを探されることを願っています。
詳しく教えて頂きありがとうございました!
わかりやすかったです(^^)