現代文
高校生

・「他人との間の距離」はどのようなことか説明せよ。また別の表現で言い換えているところを抜き出せ。
・「丁寧はまだ一通りだが」とはどういうことか。
答えを教えてください!

75 敬語への自覚、 他者への自覚 五貫語の世界 76 日 口盟S判除 敬語への自覚、他者への自覚 別に年寄りを尊敬しろということではない。今の日本で「誰を尊敬すべきか」ということ になったら、そんな社会的基準はないも同然で、それは個人的な価値基準にゆだねられて これからの日本語にとって重要と思われるものは、私の場合、「敬語への自覚」である。 いる。しかし、人と人との間には、親疎の距離が常に存在している。人は生きている限り、 「初対面の人」と出会う可能性を常に持っている。どのような背景を持っているか分から」 stalker ない人間と予備知識なしに出会って、それでいきなり親密な関係を成り立たせられるわけ 1ストーカー (英語)特定の人につ きまとうなどの行為を 繰り返す者。 でもない。ストーカーや通り魔殺人のようなものが平気で横行してしまうということは、 それをする人間に「他人との距離」という発想がないからで、そのようなつまらない不幸 2通り魔通りすがりの を防ぐためにも、「他人との間の距離」を再確認するべきだろうと思い、そのために敬語 人に不意に危害を加え の存在を自覚すべきだと思うのである。 敬語というものは、社会的な地位Iすなわち力関係だけによって発生するものではな い。それは、正体の知れない人間との間に距離を設定してしまうものでもある。だから、 仲間同士の会話が弾んでいるところに入り込み、丁寧口調で話を続けていれば、「水くさ いやつ」とも思われる。積極的に親近感を成り立たせたいのなら、相手と同じ言語を使え 丁寧」はまだ一通 りだが」とは、どのよ うなことか。 ばいい。しかし、相手と交わりたくなかったら、終始距離を取って、敬語で通す。 寧」はまだ一通りだが、そこに尊敬の度合いが大きくなればなるほど、相手との距離は大 「言葉が自分の内側 に傾けば」とは、どの ようなことか。 きくなる。「あなたとはあまり接近したくない」という意味が、相手の立場を過剰なほど に尊重する敬語だというのが、人間関係を重要視する日本語の素晴らしいパラドックスだ と思う。敬語の重要性は、「他者との距離」という点で、再確認されるべきだろう。 Mモノローへ monologue(語) 相手なしに一人で言う 台詞。独白。 言葉というものは、自分とその外側との境に存在するものである。自分の内部だけに留 まるものではないし、自分を置き去りにして、外部で独り立ちするものでもない。言葉が " 自分の内側に傾けば、それはモノローグになる。モノローグがある種の共通性を獲得して、 〈キーロー2) ★パラドックス 限られた範囲で流通してしまえば、それは方言になる。方言は、地域的なモノローグなの →くーか だ。「方言の重要性」が今の時代に言われたりもするのは、自分をより濃厚かつ明確に語 ★他者 →隠ベージ ★方言 →幅ページ 女共通語 →Mページ るための言葉が必要とされているからだろう。方言に対する共通語は、「他者との交流」 という必要から生まれた言葉である。だからその重点は、自分の外側=他者にある。他者 5 との関係に比重を置く言語によって自分を語るということは、自分を希薄にすることでも 横行する >水くさい >1隠り ある。だからこそ、自分の所属が明白であるような地域的モノローグ|方言によって、 自分をより明確濃厚に語る必然も生まれる。「方言の復権」と言っても、限られた範囲で しか流通しない言葉を、共通語にするわけにもいかない。それぞれに違う共通語を話すと いうのは、矛盾というものだ。
五 言語の世界 78 4渋谷 東京都渋谷区の、 渋谷駅付近の地名。都 内有数の繁華街。 マJ4 4 い 道、人は「渋谷界隈の若者言葉」を方言の一種だと思わない。方言というのは田舎に あって、都会にあるものではないという思い込みがあるからなのだが、ある限られた範囲 内でしか流通しないという点において、若者言葉は方言の一種である。そして、その流通 が限られた範囲内であるからこそ、ここでは親疎の別がなくなってしまう。方言を通用さ せることが出来る安心感と同じものは、実は日本社会のどこにでもある。若者言葉もその 1つで、「その言葉を共有させられるからこそ仲間だ」という安心感によって、この特殊 わな な言葉は成り立っている。そして、その言葉の買も、また同じところにある。「その言葉 を共有させられるからこそ友達だ」という安心感によって成り立っている以上、その言葉 を使う人間たちの間に、意志の疎通を図らなければならない「他者」は存在しないのだ。 他者が存在しない以上、言葉はぞんざいになる。わざわざ、第三者に対して「説明する」 >界隈 >ぞんざい という行為が不要になる。 3「すべてが同質の人」 間たちによって成り立 っている言葉」とは、 どのような言葉か。 言葉は、その機能の多くを「説明する」というところに割く。ずべてが同質の人間たち によって成り立っている言葉は、「他者」を欠き、それゆえに「他者への説明」も欠く。 つまり、言葉としての機能を大きく劣化させてしまうということである。それが、他者の 訪れることが稀な閉鎖的村落であるならともかく、大都会の真ん中で「他者への説明」と いう機能を欠いた言葉が公然と流通しているのは、あまりにも不思議であり、不自然であ る。なぜそこで、特殊な方言が必要となるのか。それはつまり、より濃厚かつ明確に自分 自身を語りたいという欲求があるからだろう。 方言を使う彼や彼女の背後には、「自分のものではない言語を強要する社会」があるの である。共通語を基本的な日本語として採用してしまった日本社会では、家庭の中の言語 トこ が不思議な様相を呈する。共通語というのは、「丁寧」という敬語を必須とする言葉だか " ら、これが家庭を支配してしまうと、家庭に育つ子供と親の間に距離が生まれる。丁鷹寧と いうのは、人と人との間の最小限の距離だから、最も人との間に距離を感じなくてすむ親 子の間に、歴然としてしかも意識されない距離が生まれるのだ。「○○ちゃん、……しま しょうね。」には、歴然と距離をあらわす「丁寧」が入っている。これは、幼児に向かう 他者|つまり、教師の言葉である。教育の任務を実感した親は、それを成り立たせる必 = 然によって、子供の間に距離を設定する。この距離を埋めたいからこそ、子供は、距離を 感じずにすむ方言を求めるのである。 かつての日本人は、方言で育ち、その後に共通語をマスターした。それが逆になって、 存在を主張すべき自己ばかりが肥大した。説明を要される他者の存在が希薄になって、日 4「それが逆になっ て」とあるが、何と何一 が逆なのか。 本語は大きく劣化した。日本の社会も。それを修復するのなら、敬語という他者への認識 5 への自覚が必要だろうと思われるのである。 様相を呈する 歴然として

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