歴史
中学生
解決済み

江戸幕府が長く平和な時代を作ることができた
理由を何個か教えてください😭😭😭😭😭

回答

✨ ベストアンサー ✨

①関ヶ原で、徳川一強になった。(鎌倉幕府や室町幕府より盤石な基盤を達成。)
【参考資料】
殿がお前らに5分内で戦国武将を教えて下さるそうだ【本多正信】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm28839118

②御三家を地政学の要衝に配置
幕府崩壊のシナリオを想定しての配置
・幕府倒幕は、天皇を立てて挙兵する。
南北朝の対立みたいにならないように、吉野ににらみをきかすために、紀州藩を設置
これによって、紀ノ川(吉野川)と熊野川を河口をおさえ、吉野での籠城の補給線を絶つ。
事実、幕末の天誅組の反乱を鎮圧している。
さらに、陸の孤島の和歌山(紀州藩)は、大阪や京で挙兵があり、江戸に進軍する反乱軍の背後を突ける。
・強力な防衛線としての尾張藩。
倒幕運動は、西日本の外様大名が天皇を擁しておこなうと想定しているので、京からの進軍を大きな川のある名古屋(尾張藩)でまず受け止め、紀州藩と呼応して挟撃させる。
・最後に、江戸が陥落しても、水戸藩は、天皇を敬うような藩にしているので、江戸幕府(征夷大将軍の徳川本家)が滅んでも、天皇側(官軍)に弓を引かない水戸藩だけは生き残る。
このような、具体的なシナリオを想定して、日本中の経済的軍事的(地政学的)要衝を幕府が天領にしたり、御三家の領地にしていた。

実際の幕末は、この想定と違って、尾張藩と水戸藩が逆の立場を演じる。
本来将軍になってはならないと言われていた水戸藩の(一橋家に養子にいった)徳川慶喜が将軍になったため、家康のシナリオは崩れた。
しかし、鳥羽伏見の戦いで勝敗が決したため、尾張藩は、薩長土肥の官軍の江戸への進軍を助けている。道中の大名に協力するよう働きかけ、官軍に敵意がないように振る舞っている。

③大坂冬の陣で反徳川の拠点になった大阪にも手を加えている。大阪冬の陣で特にやっかいだった真田丸(頑強な出城)を後世に使わせないように、真田丸でなかった所を真田丸があった場所だと間違えさせるために、地名に真田丸跡地をにおわせる地名を付けたりしている。
これも、徳川家康(もしくは、側近)のアイディアで、だと思われる。

さらに、西国の外様大名が大阪を占拠して、大阪から京へ攻めにくいように準備していた。幕末は、幕府軍が大阪で、京に薩長がいる状態になって、その想定の逆になった。これも、幕府軍の戦術的敗因の原因。さらに、淀川の要衝の譜代の淀藩がうまく機能していない。

★徳川家康は、過去の幕府のことや、地政学的なこと歴史的の出来事とかを書物でいっぱい読んで、その対策を徹底的にしている。
その点は、織田信長とか豊臣秀吉と決定的に違うと思います。

★歴史を学ぶと言うことは、本当に大切な事なのです。

あと、学んだことを大名の領地替えなどで反映できるだけの他の大名との圧倒的な戦力差をつけた①の関ヶ原の合戦の圧勝は大きかったと思います。そうなると、それを演出した本多正信の知略(謀略)は、大きかったと言うことになります。

④江戸幕府のマイナス面
家康のシナリオが成り立つのは、戦国時代の軍事技術のままであると言う想定なので、200年以上日本は、技術革新を止めていました。
だから、イギリスで産業革命が興り、軍事技術も黒船(長射程の大砲を持ったエンジン付きの軍艦)やライフル銃になったため、外国と戦力の差がつき、外国に対して鎖国を強く主張できなかった。
そこから、幕末への倒幕へと一気に進んでいったのです。

★過去の歴史を学び、その対策を分析する事と、技術革新を常に取り入れる事は大切なのです。
現在の学校では、いかにGIGAスクール構想を定着させるかでしょうかね。

関ヶ原の合戦,本多正信,産業革命,gigaスクール構想
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随分反応遅れてしまって申し訳ないです…ご丁寧に回答ありがとうございます😭😭🙏🏻

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