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「内閣(藩閥政府)と議会(政党議員が多い)の関係が悪化してきた政府の関係回復を行うためには、議会と内閣のメンバーを一緒にしたら解決するのでは?=政党を作ろう」と伊藤博文が提案。しかし、超然主義(議会を弱体化)の山縣有朋が反対。
伊藤博文が内閣を辞職した時に、次の総理大臣に議会の中心人物、大隈重信を推薦。政党内閣が実現するも、内部派閥争いで自滅し、山縣有朋が総理大臣になってしまう。山縣有朋のせいで、また議会との関係が悪化。
そこで伊藤博文が立憲政友会を作り、大隈重信の憲政党、政府内の官僚、財閥(特に三井財閥)を味方につけ、結成。しかし、山縣有朋がこれを邪魔してきた。立憲政友会の様々な意見がある人をまとめている最中に、山縣が内閣を解散、伊藤博文に次期政権を押し付けて、立憲政友会を内部崩壊させた。
この勝負は、後々、桂太郎(伊藤博文派)VS西園寺公望(山縣派)が引き継ぐこととなる。
伊藤博文が立憲政友会を結成した1つの理由は、議会と内閣を仲直りさせるため。
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