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意味している。こうしたプロセスを「学ぶ」といっているのだ。簡 単に言うと、「学び」とは体験から何らかの新しい「知識」を導き 練習問題 出す心身の営みのことを言う 「学び」のプロセスは、何らかの感情の動きを伴っている。たと えば、新しい事態を以前の「知識」では理解できないでいたときに 誰かから説明を受け、なるほどそうだったのかと納得し、それを取 り込んで新しい「知識」を自分の中につくるとき、その人は(小さ な)感動という感情を体験するはずだ。自分で調べて発見して納得0 し、新しい「知識」を自前でつくりあげるときも、感情の大きな動 きを体験する。やったぁ!というのに似た感情だ。だから「学び」 というのは、静的で冷たい心の働きではなく、動的で情的な、人間 にとってとてもうれしい営みになるはずだ こう考えると、私たちは日常、たえず「学び」を経験しているこ ぶ とがわかる。ちょっとした経験から、私たちは「こういう場合は○ Oしたら失敗する」というような「知識」を日ごろ勝手に導き出し たりしているからだ。こうした場合でも「学び」がおこなわれてい ることになる。ただ、「学び」にはある種の感動が伴うものである ということを踏まえると、同じ「学び」にも浅い深いがあると考え たほうが適切だろう。「学び」が深いほど、感動が大きい。あるいは、 「学び」が深ければ深いほど、心身に新しいものが付け加わる度合いが 大きく、行動までもがそれによって変わることがある、ということだ 「学び」の意味をこのように考えてくると、そこに必ずしも「教え」 ということが必要とは限らないということが理解されるだろう。 と同時に、そうだとすると、私たちの「学び」の姿勢ということ が大事な問題になってくる。「学び」は体験から新しい「知識」を 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 「学ぶ」とか「学び」とかいうことばが最近よく使われる。これ は教育学という学問のなかで、これまでのように教える側を中心に 教育という営みを考えるのをやめて、学んでいる側に視点を置いて 考えてみようという主張が強くなってきたためだ。 私たちは「教育」ということばをあたりまえのように使っている。5 けれどもこのことばは、最初に「教える」という漢字がきてその後 に「育つ」という漢字がくるという構造になっていて、まるで「教 育」なる営みは、誰かが誰かにまず「教え」なければ成立しないと いうような感覚を人に与えてしまうという性格をもっている。 しかし、違うだろう、というのだ。教えるというのは、むしろ学 10 ぶという行為を上手に支える営みであり、大事なのはあくまでも、 学ぶ側がどれほど深いよい学びができているかということではない か、というのだ。言ってみれば、「教育」といわれている営みの重 点を「学ぶ」ほうに移して発想してみよう、ということだ そこで、改めて聞いてみる。「学ぶ」って、いったいどういう意味だ? 5 新しく体験したことがそれまでの自分の「知識」と矛盾するよう な場合、あるいは体験がなくてその事態や物事についての「知識」 がない場合、人は新しい体験とそれまでの「知識」が矛盾しなくて すむように、自分の「知識」のほうを修正して両者を両立させるよ うな新たな「知識」をつくりあげたり、新しい体験を自分なりに納 20 のいく新しい「知識」につくりあげたりする。これは「知識」が に たしたこと、 あるいは新たな 「知識」が創造されたことを 導き出す営みだから、体験からどれだけ深い「知識」を導き出せる かということが、私たち自身に問われるようになるからだ J 4J (汐見稔幸「「学び」の場はどこにあるのか」より) sて 18

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