日本史
高校生

東山文化で、林下という五山に属さずに、自由に普及するグループができましたよね、なぜ五山は衰退してしまったのでしょうか?

回答

①室町幕府の衰退で後押しがなくなったから。
②応仁の乱で各寺が大きな被害を受けたから。
③応仁の乱以降、守護大名の勢力拡大で荘園管理が難しくなったから。

衰退した理由は主にこの三つです。一応、少し詳しくそれぞれについて説明を載せておきます。

①京都五山というのはそもそも室町幕府との親密度で格付され、幕府の支援を受けていました。
そのため五山の後楯になってきた室町幕府が衰退していくと、それに伴って五山も衰退していきました。

②応仁の乱で各寺は壊滅的な被害を受けました。
更に、応仁の乱によって京都が荒れると、各寺の財政担当の僧侶達の経済的基盤が失われて、財政的にも厳しくなりました。

③応仁の乱以降、室町幕府の衰退た共に日本各地で守護大名の力が強くなり、五山が持っていた荘園の管理が難しくなっていきました。

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